DSK事件が火をつけたフランス流フェミニズム論争1

フランス国民の記憶から消えないセクハラ事件といえば、大物政治家ドミニク・ストロスカーン氏による性的暴行、いわゆるDSK事件です。フランスでは、#MeToo運動はDSK事件からはじまった、という見方もあるほど。

東日本大震災の直後だったこともあり、日本ではほとんど話題になりませんでしたが、この事件は、アメリカとフランスの性的な問題のとらえ方などの違いを浮き彫りにし、フランス国内のフェミニズムの議論を活性化させるきっかけになりました。

フェミニズム論争の口火を切ったのは、アメリカの歴史学者ジョーン・W・スコット氏でした。フランスの大手新聞では約1か月にわたり、知識人らによるフェミニズムに関する応戦が繰り広げられます。

事件はニューヨークで起きました。

フランスの元財務相で国際通貨基金(IMF)の専務理事だったドミニク・ストロスカーン氏は2011年5月14日、ニューヨーク市警に性的暴行と強姦などの容疑で身柄を拘束されます。

告訴したのは、彼が滞在していたニューヨーク・マンハッタンにあるホテル「ソフィテル・ニューヨーク」の女性従業員ナフィサトゥ・ディアロさんです。

同日朝、部屋に入った彼女は、ストロスカーン氏に背後から襲われ、性行為を強要されそうになったといいます。

ストロスカーン氏は2012年フランス大統領選への社会党候補として出馬が有力視されていた人物。
一方、被害を訴えた女性は、ギニアからの移民で、イスラム教徒のシングルマザー。

このDSK逮捕のニュースはフランス人に大きな衝撃を与えたものの、当初、フランスではストロスカーン氏を擁護する声も少なくなかったといいます。

フランスはもともと権力者の私生活を報じるのはタブーとされ、性に関する問題も大目に見る傾向があります。

このフランスの態度に憤慨したアメリカの女性たちは、新聞のサイトで糾弾しはじめます。

5月18日には、ニューヨーク・タイムズ紙の電子版のオピニオンページに「フランス女性は寛大なのか?」と題した討論欄が開設され、DSK事件をめぐり、「権力をもつ男性の性的不適切行為に対するフランス社会の姿勢についての議論」が展開されます。

投稿者のなかでも辛辣だったのが、アメリカの歴史学者ジョーン・W・スコット氏の寄稿「フェミニズム? 外国からの輸入」(2011年5月20日)です。

ジョーン・スコット氏は、『Only paradoxes to offer: French feminists and the rights of man(パラドクスしか示せない: フランスのフェミニストと人権)』『Parité!: sexual equality and the crisis of French universalism(パリテ!:男女平等とフランス普遍主義の危機)』などの著書もある、フランスのフェミニズム研究で知られるプリンストン高等研究所教授。

この彼女の寄稿が発端となり、アメリカとフランスの知識人、そしてフランス国内のフェミニストたちによる激しい論戦がはじまりました。

ジョーン・スコット氏はまず、「フランスの政治文化は、ストロスカーン氏のような行動に長い間寛容だった」と述べ、フランス人はその言い訳として、フランスの歴史家モナ・オズーフ氏の著書『Les Mots des femmes : essai sur la singularité française(女の言葉:女の言葉 ― フランスの特殊性に関する考察)』(1995年)にある「誘惑の芸術」を引用して、「これが国民性の特徴だと説明している」と誹ります。

「フランス革命200周年の1980年以降に出版された多くの書籍と記事では、男女平等の代替手段は異なるもののエロチックな遊びの容認であると議論されている」「劣った性である女性は男性の欲望の対象として力を得る」というフランスの論調を説明。そして、「こうした見解の提案者は、外国からの輸入のようなフェミニズムを非難する女性たち」で、そのなかには、オズーフ氏とクロード・アビブ氏(パリ第3大学教授)がいると名指ししました。

さらに、「これらの提案者は、開けっ広げのエロチックな遊びはフランス人的には不可欠であるのに、イスラム教徒はそれを理解しないと主張し、イスラム教徒がフランス文化に同化するのは不可能性だという議論を正当化している。なんとも皮肉なことに、ストロスカーン氏の性的暴行の被害者はイスラム教徒だ」とつづけます。

そして、「もちろん、国民性のこの見解に賛成しないフェミニストもいるが、それは少数派」「フランスのメディアは、アメリカのピューリタン主義の事件としてこれを片づけるのは難しいとわかっている」とフランスの及び腰ともいえる態度を批判しました。

最後に、「通常の誘惑の遊びより暴力的であるはずなのに、ストロスカーン氏の疑惑行為で、誘惑というものが、“芸術”ではなく、権力のある男性たちには地位とセックスが当然付いてくる資格であるとわかる」と言い放っています。

アメリカでのこうした動きに逸速く反応したのは、フランスのルモンド紙でした。

5月28日付の電子版では、アメリカのフェミニストたちが「フランスの女性たちは男性の羽目をはずした行動に対して“寛大”すぎるとみなし、わが国の女性たちを審理するのにDSK事件を利用している」と不快感をにじませ、「恥ずべき攻撃」に対する批評を法社会学者イレーヌ・テリー氏に依頼しています。

テリー氏は、「フランス流フェミニズム」という見出しの記事で、「アンチ・フランスのステレオタイプの批判がこの機会に展開するのは恐れていた通りだが、偏見もあり、公平ではない部分が含まれる」と反論します。

Un féminisme à la française
TRIBUNE. Aux Etats-Unis, des voix féministes ont profité de l'affaire DSK pour instruire le procès des femmes françaises, supposées trop

まず、「性的不適切行為という単語は、英語では通常の意味と法的意味を合わせ持ち、その選択の際、すべてまぜこぜにして丁重に扱う」アメリカに対し、フランスでは「性的不適切行為の種類が、軽い冗談からナンパ、ナンパからちょっとした過ち、ちょっとした過ちから性的な違反行為と変化し、誰もが暗黙の前提から論じるのは可能だと感じている」と解釈の違いを弁じます。

そして、フランスのジェンダー研究の流れとして、アングロサクソンの差異主義とは対峙する、フランスで長年優勢な普遍主義フェミニズムを目指していることを説明し、スコット氏が、寄稿の見出しを「フェミニズム? 外国からの輸入」としたのは、モナ・オズーフ氏に対する信じがたいリベンジ」と非難しました。

「フェミニズムは“外国からの輸入”という解釈は、フランスの素晴らしい知識人のひとり、モナ・オズーフ氏の仕業だろうと図々しくも思っている。トクヴィル、ヘンリー・ジェイムス、イーディス・ウォートンの優秀な読者であるスコット氏の巧妙な細工のもと、本質的なアンチ・フェミニズムを伴う偏狭なアンチ・アメリカ主義が隠されているようににおわせている」

テリー氏は「不意打ちの攻撃に驚いている」ともらし、フランス人がイスラム教徒を拒否する根拠としてフランス流フェミニズムを持ち出したスコット氏の言い分に憤慨をあらわにします。「真剣であってほしい議論の代わりに、フランス女性、とりわけフランス流フェミニズムを教養のある人々の欲求のはけ口に投げ捨てることで終わっている」として、それは「不適切行為」だと詰め寄ります。

ただ、「アンチ・アメリカの決まり文句を使って、アンチ・フランスの決まり文句に応える」ことはせずに、それより緊急に対応すべきことは、フランス国内で起きている議論の危うさだと述べます。

この問題についてテリー氏は、「これまでの人生で書いた文章のなかで最も価値がある」と評する5月23日のルモンド紙の記事「メイドと経済界の大物」に詳しく書いています。

DSK事件が火をつけたフランス流フェミニズム論争2
大物政治家ストロスカーン氏の性的暴行事件は、フランスのフェミズムを活発化させた。法社会学者イレーヌ・テリー氏の寄稿の抄訳。フランスは性やジェンダー問題で他国より遅れているとみられているが、性犯罪を重大な提起として一とらえなければならない、と。

そして、「社会が激しく変化しようとしているとき、過去の遺産も忘れてはいけない」と警告し、「私の感覚としては、フランス流フェミニズムはつねに生き生きしている。それは、生きる特定の方法であり、考えるだけでなく、政治的な正しさの行き詰まりを拒否し、男女平等の権利と誘惑の不均衡な喜び、そして、同意の絶対的な尊重とキスを奪われる甘い喜びが必要だ」と主張しています。

こうしたテリー氏の発言を受け、ジョーン・スコット氏の反論が2011年6月9日にリベラン紙に掲載されました。

DSK事件が火をつけたフランス流フェミニズムの論争3
フランスの大物政治家ストロスカーン氏の性的暴行事件をめぐるフェミニズム論争の3回目。フランスの法社会学者イレーヌ・テリー氏の「フランス流フェミニズム」にアメリカの歴史学者ジョーン・スコット氏がかみつき、さらに3人のフランス知識人が議論に参戦。
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