西欧視点ではないモロッコのフェミニズム社会学者の言葉

「イスラムの女性は虐げられていて、自由がない」と思っている人も少なくないでしょう。
それも事実ではありますが、女性の権利を主張し、生き生きとがんばっている女性もたくさんいます。

モロッコの社会学者ファーティマ・メルニーシーさん(1940年9月27日~2015年11月30日)もそのひとりでした。

講演で来日したこともあるようで、『ハーレムの少女ファティマ: モロッコの古都フェズに生まれて』(未来社)、『ヴェールよさらば―イスラム女性の反逆』(心泉社)、『イスラームと民主主義―近代性への怖れ』(平凡社選書)が日本語訳になっています。

イスラム社会で女性の権利や生き方を主張するのはかなり大変だと思われますが、鋭く切り込み、その潔さがカッコいい。

彼女に共感できる点は、フランス語や英語で執筆し、西欧社会の問題をも指摘するところにあります。それがまた、スカッとするのです。

日本もイスラム圏も、フェミニズムは西欧から学ぶことが多いのですが、その理論をそっくりそのまま当てはめようとしても、やはり無理があります。
もちろん、西欧の女性は自律していると認めますが、いつもそこでジレンマを感じてしまいます。

メルニーシーは西欧式をそのままコピーするのではなく、イスラムやモロッコの伝統や文化に基づいて、自分の身近な女性たちの自律を追究しています。
しかも、それを西欧社会に堂々と発表しているところが、素晴らしい。

彼女はフランスの女性誌にときどき登場し、威勢のいい発言をしていました。

2001年11月にフランスで発行された『Le Harem et l’Occident』(ハーレムと西欧)では、「われわれ(オリエント)は西欧文化を敬服し、恐れているが、尊敬はしていない。オリエントは、西欧を潜在的な敵としてしか見ていない」と述べているそうで、この記述について、フランス版女性誌ELLEがインタビュー記事を掲載しました。

「対話は不可能か?」との質問に、「西欧人は、自分たちがどれほど傲慢なのかわかっていない。この傲慢さゆえ、われわれには西欧の弱さが理解できず、非人道的な存在として見てしまうのである。民主主義や対話について絶えず主張しているわりには、西欧は全く対話しようとしていない。権力を持つ者はいつでも、対話をしたがらないのだ。9・11の悲劇が起きてしまった今こそ、何か行動を起こさなければならない。西欧は対話をはじめるべきである。方法として? 他者の美しさに目を向けることを学んでください。それぞれの人間に潜む能力を理解してください」とファーティマ・メルニーシーさんは答えています。

西欧文化は素晴らしいのですが、“西欧の傲慢さ”は私も好きになれません。

オリエントは、西欧に対する東洋で、広義では日本も含みます。

ただ、日本人は、西欧のお尻ばかり追いかけて、自分たちもその仲間だと思い込んでいるように見受けられます。西欧人は、日本人を決して西欧人だとは見ていないにもかかわらず。

日本人のイスラムに対する偏見は、やはり西欧的なものの見方からきているのでしょう。

例えば、「ハーレム」と聞けば、なにやら淫靡な世界を連想してしまいますが、ファーティマ・メルニーシーさんの言葉によると、それはヨーロッパ人の誤解だといいます。

「ヨーロッパ人にとって、ハーレムの言葉は官能的な意味を含むらしいが、イスラムの文化では、独裁と権力と同類語である。“ハーレムの男性は女性と好き放題遊ぶ”といった考えは、現実とはかけ離れている。ハーレムの女性は、男と寝ることを一日中考えているどころか、“どう抵抗して脱出するか”と考えているのだ」

ファーティマ・メルニーシーさんのように、西欧に面と向かって異議を唱え、なおかつ、自国の抱える問題とも戦っている人は、女でも男でも関係なく素敵です。

ちなみに、モロッコは女性の社会進出が著しく、教職者の45%、特に大学教授の50%以上が女性。
ロイヤル・モロッコ航空には女性パイロットもおり、女性電気技術者も多いそうです。
ただ、地方部の文盲率は50%で、その90%が女性で、教育の格差をはじめとする多くの問題が存在していることも忘れてはいけないのですが。(2005年8月3日)

また、『ヴェールよさらば―イスラム女性の反逆』の第二章で、「湾岸戦争が教えてくれた貴重な教訓」として次のような一節があります。

原本は湾岸戦争後の1993年発行ですが、日本では2003年に刊行されています。

……普通のアラブ人は恵まれてはいないかもしれないが、それよりも孤独で、か弱いのは、表向きは権力の衣をつけたアラブの指導者の方だ。
孤独で脆いのが私たちのリーダーだとは! テレビを見ながら私は何度か涙をこらえたことがある。リーダーたちの毅然とした表情の下に、私たちの無力と悲しみが映し出されているからだ。実際、アメリカ側についたにしろ、アメリカ側と戦ったにしろ、どちらを選択したにしてもそれは同じであった。

……湾岸戦争は、強大な力を秘めた指導者と、つねに力を奪われてきた国民との間の歴史的な距離を取り払った。そしてそれこそが、多くの子どもたちをはじめとするイラク人の死を正当化する唯一の理由である。少なくとも彼らは、これから築いていくべき民主主義の犠牲者になったといえるだろう。

強いアラブ指導者は強いアラブ国民なくしては存在しない。私たちがこの戦争以前に考えていたのとは裏腹に、国民の強さは愚かしい武器によって得られるものではない。強い国民というのは、教育と高度な技術を持った国民のことであって、指に引き金をかけ、無数の弾薬の上にあぐらをかいているような国民ではない。これは標的になる犠牲者が同胞であろうと外国人であろうと同じことだ。

「アラブ」を「日本」に代えて読んでみてください。

(2008年9月19日)

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