チェルノブイリ原発事故の影響で息子を亡くした父親の涙

チェルノブイリ原発事故が原因による甲状腺がんで亡くなったミーシャさん(享年31歳)の父親シテフォルク・ワレンチンさんのお話を2013年7月19日に聞きました(「未来の福島こども基金」主催)。

7月19日は、昨年他界した息子さんの命日。
会場に供えられた遺影とお花を見て、ワレンチンさんは涙をこらえきれず。
「2年前には妻を心臓病で亡くしました。ミーシャの病気がかなりのストレスになっていたようです。3人家族のうち、2人を失い、ひとりぼっちになってしまいました」と、何度も涙をぬぐいながらの講演でした。

ワレンチンさん一家が暮らしていたのは、ウクライナのドネツク(ワレンチンさんは現在もドネツク在住)。
ドネツクはチェルノブイリから600kmの距離。
チェルノブイリ事故が起きたとき、ウクライナにはまったく情報が入らず、何も知らなかったそうです。
政府が事故を発表したのは5月に入ってからで、5月1日のメーデーの集会のときには、何も知らない市民は子どもや孫を連れて集会に集まったといいます。
当時、汚染された食品が出回り、ドネツク地方にも流通していたそうで、後になって、それが政府の秘密文書から明らかになったそうです。

ワレンチンさんは、「チェルノブイリと福島に共通していることは、『正確な情報が伝えられ、人々はそれを知るべきだ』という点です」と述べました。

ミーシャさんは、甲状腺の被ばく線量といった検査を受けたことがなかったといいます。
12歳で1回目の手術をし、1996年に4回目の手術を受けました。
4回目の手術はフランスのマルセイユで受け、その後、体調は安定し、外語大を卒業してウクライナの銀行に就職。
しかし、2012年2月にキエフの病院に入院し、7月に帰らぬ人となりました。

「放射線は目に見えず、徐々に人を蝕んでいきます。このような事故は二度と起こらない、そして、この事故に無関心になってはいけません」とワレンチンさん。

講演中は沈痛な面持ちだったワレンチンさんだが、交流会では笑顔をみせ、ウクライナについてたくさんお話してくださいました。

ボルシチはもともとウクライナの料理で、ウクライナの女性が作るボルシチが最高なのだそうです。

ワレンチンさんが働く炭鉱では、組合に申請して、2週間ほどの夏休みをとることができます。
「休暇の計画を立てるのが唯一の楽しみ。長期休暇は、英気を養うために大切です。東京のようなせわしないところで働き、数日しか休みがとれないなんて…」とワレンチンさん。

黒海とクリミア半島の美しさについては、iPhoneの画像を披露しながら、熱く語ってくれました。
「とにかく空気がうまい! スプーンですくって口にいれたいほどのおいしさですよ」と。
なんとも素敵な表現!

(2013年7月20日)

チェルノブイリ原発事故によるフランス甲状腺がん訴訟
1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故の際、フランス政府は「国境で放射能雲が止まったから安心」と発表した。しかしその後、フランスでは500人もの人が甲状腺がんを発症。そのうち6人が「フランス甲状腺病の会(AFMT)」を設立して闘っている。
2016年に「3.11甲状腺がん子ども基金」が設立
福島では、小児甲状腺がんと診断された本人や家族は世間の目を恐れて孤立し、患者の家族同士がつながることさえ難しい状況だという。治療などの経済的負担も大きいため、「3.11甲状腺がん子ども基金」を設立。2016年9月にシンポジウムが開催された。

3つのガンを発症した札幌の元原発作業員の訴訟

放射能汚染に関する記事一覧

タイトルとURLをコピーしました