2005年1月に強制送還された難民認定申請中のクルド人

突然飛び込んだクルド人強制送還のニュース(2005年1月18日)に、私は言葉を失った。鳥肌が立ち、しばらく呆然としてしまった。

スマトラ地震への大金の援助が、偽善的にさえ思えてくる。いったい日本は、どこに向かっているのでしょう?

英語教育の充実が国際化ですか? 国連の常任理事国になることや、多くの世界遺産が登録されることが、私たちの目指す国際化でしょうか?

世界がどう動いているかも、さまざまな文化や歴史、そこで生きる人々が何を考えているかも知らずして、国際化はないでしょう。

今回の措置は、あまりにも残酷だ。昨年夏、クルド人一家が座り込む国連大学本部前に立ち寄った。日本で最も華やかな東京・青山で、着古したジャージ姿の彼らは座っていた。その貧富の格差に愕然とし、日本の難民申請者について改めて考えさせられた。

恥ずかしながら、私自身、クルド人を知ったのは、それほど昔ではない。パリの語学学校の同じクラスに、クルド人がいたのがきっかけだ。
スポーツジャーナリストを目指し、彼女はパリでジャーナリズムを勉強していた。スイスに移民した彼女は、「私はクルド人」ときっぱり。「クルドって、わかる?」と聞かれ、しどろもどろしていると、彼女は立ち上がり、ホワイトボードに地図を書き始めた。イラク周辺の地図を書きながら、「ここがクルド人の暮らしていたところだったんだけどね…」と説明してくれた。

その後、オランダでもう一人のクルド人に会った。日本のガイドブックにも載っている、クルド料理レストランの店長だ。
最後の客になるまで粘った私と友人は、強い蒸留酒をごちそうになり、クルドのダンスまで教えてもらった。にこやかに店内を飛びまわり、苦難など微塵も感じさせない男性だったが、彼は二度と生まれ故郷には戻れない身だった。

世界各国が難民問題を抱えているという状況で、日本はその流れに逆らっているような気がしてならない。私たちの国だけが、どこか地球以外の星にいて、世界とつながっていないという錯覚を起こしてしまう。

国連大学前で言葉をかわした女の子は、テレビの記者会見で泣き崩れていた。国を持たない彼らを、どこに追い払えば気が済むのだろう。国を持っている私もまた、どこかへ運ばれていくような恐怖を感じる。

(2005年1月19日)

お隣さんはほぼ外国人! 20か国住民のリアル生活『週刊女性』2月17日号

 

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