イギリス左派新聞の論説委員による「原発擁護」の記事

2011年7月4日の英国ガーディアン紙に掲載された、ジョージ・モンビオット論説委員の記事です。
なお、これに反論するフランスのメディアパルトの記事に関してはこちら。

*意訳しています。誤訳があるかと思いますもしれません。ご了承ください。


原子力産業はうさんくさい。しかし、それが原子力エネルギーを廃止する理由にはならない

The nuclear industry stinks. But that is not a reason to ditch nuclear power | George Monbiot
George Monbiot: The debate is skewed by distrust of big corporate interests. Under proper scrutiny, new plants can give safer, cleaner energy

議論は巨大組織の利益に対する不信でゆがめられる。適切で精密な検査があってこそ、新規原発施設は安全性とさらなるクリーンエネルギーを提供する。

エネルギーは堕落した。原子力エネルギーの堕落は決定的だ。この産業は核兵器研究の副産物として発達した。その展開において、武器生産は公衆の視線が届かないところで行われていた。2つの産業が分離された現在でも、世界中の大部分の地域では、原子力事業者は秘密主義で訳がわからず、政府とあまりにも接近したままである。先週のガーディアン紙は、イギリス政府が福島原発事故の影響を軽視する企業を黙認していたことを暴露した。原子力企業からのコメントは、経済省に提案されても、大臣のブリーフィングや政府の発表に組み込まれるべきではない。

こうした馴れ合いを通して、事故は起きる。IAEAの最新報告書には次のようにある。福島の損傷した施設を運営している東京電力は、津波の危険性を過小評価し、施設の事故の悪化に備えた適切な計画を導入しなった。そして、防護手段の再調査をしそこねた監視員を見逃がした。世界規模の原子力事業者は繰り返し、直接的な圧力団体として暴かれた。

こういうわけで、彼らはもちろん、小さな幸せを広げるのを唯一の目的にしている自己犠牲的僧侶の集まりが運営する他のエネルギー産業とは区別されている。彼らが原子力企業の何人かの名前と住所をどのように共有していたのか、説明をしないのは謎である。金曜日の一面の記事では、原子力企業と政府との関係に関して、「前政府環境アドバイザー」のトム・バークの言葉を引用している。「政府は企業に接近しすぎている。問題を暴いて措置するよりむしろ、問題を隠している」 この記事は、バークが世界的な炭鉱大企業のひとつであるリオ・ティントの仕事を最近していることを伝えていない。もちろんその企業は、政府との馴れ合いをつねに控えていた。

すべてのエネルギー大企業は、それが石炭、石油、ガス、原子力、風力や太陽エネルギーであっても、政治家や用心棒のような監視員を操作し、国民をだましている。彼らの傲慢な権力は、多くの種類の危害を引き起こしている。それらのなかには、原子力技術の原因となる損傷も含まれる。利益を取り除いての議論は激しい。

安全性からはじめよう。原発施設の安全性と弾性の最良の証明は、福島で見ることができる。メルトダウンと爆発が起こった福島第一ではなく、隣にある福島第二である。福島第二について耳にしたことがあるだろうか? これこそまさに適当な理由である。福島第二も同様にダメ企業によって運営されている。同様の地震と同様の津波に襲われた。しかし、この施設は無事だった。波に襲われた他のすべての原発施設のように、自動冷却装置が停止したのだ。核ミサイルの攻撃を除いて、あらゆる可能なテストのなかでも最も厳しいものに耐えたのである。

ここでわかることは、1970年代と1980年代の安全性の特徴の違いである。福島第一の1号原子炉は1971年製だ。福島第二の第1原子炉は1982年製である。最近の原子炉はもっと安全である。たとえば、中国が試作中のペブルベッド炉は、物理学本来の特性としてオーバーヒートしたら、おのずと停止する。21世紀の原発施設について議論しているのに、40年前に建設された施設を持ち出すのは、現代の空の旅が安全ではないことを論争するためにヒンデンバーグの炎上を持ち出しているようなものである。

メルトダウンした福島第一でさえ、医学的損傷は何も引き起こしていないと、同エネルギー会社は報告している。必要に迫られた避難が根本的なトラウマと崩壊であり、「現在までのところ、被ばくの影響とみられる明らかな健康被害は誰ひとり認められない」。これを、火力発電所での空気汚染による年間10万人の死亡者と比較すれば、間違った危険にやきもきしていることに気づきはじめるだろう。

気候変動が引き起こすであろう損害および死者とこれを比較したら、我々の回答が狂気を形づくっているかのごとく不釣合であることがわかる。これは明瞭な結果である。原発を廃止するというドイツの約束は、年間4000万トンの二酸化炭素の追加を生み出すことになるだろう。6月にアンゲラ・メルケル首相は、ドイツは向こう10年間に建設する火力および天然ガス発電所を2倍にする可能性を発表した。すでにドイツは不足を補うために、地球上で最も害のある燃料のひとつの褐炭を燃焼している。化石燃料に取って代わる再生可能エネルギー技術が、原子力エネルギーに取って代わるだろう。

反原発活動家が4つの議論のひとつとして目指すポイントがここにある。1つ目は、エネルギー需要の減少に集中すべきであるというもの。そうすべきなのはまさにその通りだが、どのような技術が好ましいのかは言及していない。過剰需要を大幅に削減しても、交通機関や暖房からの炭素の排除は、電力供給の増加をもたらす。イギリスの脱炭素化を目指す代替技術センター(CAT)の急進的で楽観的な計画は、2030年までにエネルギー消費量を55%削減する目標だ。そして、電力供給量は2倍近くになる。どんな手段でこれを論議しても、それが間違っていることを説明しなければならないだろう。

2つ目は、新規原発施設の建設には10~15年かかることである。これが長すぎると、彼らは論じる。10~15年かかれば、ほとんどの再生可能エネルギー計画の用意ができる。3つ目は、ウラン供給が底をつくという点である。いつかはそうなるだろう。気候変動委員会はこの先50年大丈夫だと見積もっている。それよりずっと以前に、現在の原発で生産された廃棄物を利用した第4世代技術に移行すべきだ。これが、4つ目の目的へと導く。つまり、核廃棄物が安全に貯蔵できないのだ。

核廃棄物を処理しようという要望を引き受ける場合、価値ある燃料としてそれを活用するより、核分裂物質を地下に埋めるほうのは危険であるとの訴えは説明不可能だ。それらはどこから来たのか? ウランは地表近くに天然のまま、地球のあちこちに散在している。それよりも、蓋つきの容器に入れて、ベントナイトを敷き詰めてコンクリートを覆った状態で地表から数千メートル下にウランを埋めるほうが、なぜ安全性が低いのか? そして、将来の文明が我々の廃棄物を驚くほど深い地下から、危害を与えるかもしれないとの考えもしないで掘り出す技術を手に入れるなどとは、もっともらしい。

これらすべての議論は、企業の動揺と馴れ合いが引き起こした当然の不信から起こった。器械を支持し、陰謀には反対することに、何の矛盾もない。新世代原発施設は、これまで以上の検査と透明性が確保されたときだけ、建設されるべきだ。そして、同じことが、すべてのエネルギー選択にも適用される。組織的権力? それはお断りである。

(2011年8月3日)

英仏の左派新聞が報じた「原発擁護」記事
フランス左派系新聞の「原発擁護」記事
英仏の左派新聞が報じた「原発擁護」記事をめぐって
フランス科学者4人の「原発を擁護する理由」

原発に関する海外メディアの記事一覧

 

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