フランス5月革命から30年の女性解放・夫婦間の平等

1968年5月、パリの学生たちの運動に端を発して、フランス全土の大規模なデモに発展したMai 68(5月革命)は、女性解放運動の出発点でもありました。

1998年、仏版『マリー・クレール』が掲載した「男女平等へ向けた歩み」の特集記事を参考に、フランスの女性たちが歩んだ30年を追ってみます。

1回目は、夫婦間における平等について。

フランスでは、1946年10月27日第4共和政憲法の前文第3項において、「法律は、女性に対して、すべての領域において男性の権利と等しい権利を保障する」と定めていますが、1960年代まで、「女性は家庭、男性は仕事」という伝統的な役割分担が定着していました。

女性たちを縛りつけていたのは、1804年のフランス民法典(ナポレオンが編纂委員会に起草させたことから、ナポレオン法典とも呼ばれる)。家父長制度に基づいた民法典の家族法により、男性優位を保証され、女性は自由を奪われていたのです。

女性たちは、マルロー文化大臣(当時)が「文明の危機」と呼んだMai 68を機に、伝統的な男女不平等、きわめて男尊女卑的なナポレオン法典(フランス民法典)の抑圧を壊し、新しい男女関係と家族観を獲得していきました。

1968年からの30年でフランス女性の状況は目覚ましく改善されましたが、もちろん、女性たちの闘いは容易ではなく、1998年時点ではまだ進化の途中だったといえます。

この期間、日本の夫婦間の男女平等はどうだったのでしょう?

日本の現行民法の家族法は、日本国憲法の第24条により、個人の尊厳、夫婦の本質的平等に基づいて制定されています。そのため、フランスと比べて、1968年のスタート地点では、法律上は日本のほうが男女平等が保障されていたといえます。

家父長制の崩壊

フランス

1968年
父親だけが子どもの学校を選び、成績表に署名することができた。母親はその面で法的に何の権利も持たず、子供の緊急手術においても、夫の許可がなければ決めることができなかった。
夫の同意なく、妻たちが働くことができるようになったのは、1965年以降。

日本

1947年
5月3日施行の日本国憲法の第24条「家族関係における個人の尊厳と両性の平等」において、「夫婦が同党の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と規定されている。
1970年
1970年法により親権法が全面的に改正された。夫婦二人が家族の精神および物質の支配権を持つという親権の概念が規定され、父権優先の原則が消滅した。
しかし、この時点では、母親ひとりで、未成年の子どもの銀行口座を開設することはできなかった。

 

1975年
1975年法の改正により、双方の同意で離婚することができるようになった。それまでは裁判離婚しかなく、片方の貞節義務違反を証明しなければならなかった。同時に、姦通が処罰の対象からはずされた。1884年法では、夫の姦通は罰金のみだったが、妻の不貞は懲役に服さなければならなかった。
1898年(明治31年)
明治民法・第4編・親族の第763条で、「夫婦は、その協議で、離婚をすることができる」と規定されている。現行民法においても同様。
姦通罪は、1947年10月26日の刑法改正により、廃止。1882年施行の旧刑法では、妻の姦通は2年以下の懲役、女性は告訴することができなかった。
1985年
1985年法により、夫婦が完全に平等となり、妻も夫と同様に家族の財産を管理できるようになった。

 

1986年
1986年12月23日法により、既婚女性は、(結婚前の)出生姓を記した身分証明書を持つことができるようになった。
それまで妻は、自分の氏名ではなく、「○○(夫の姓名)夫人」と公式文書などに記していた。つまり、妻のアイデンティティーは、「夫の妻」でしかなかったのだ。
フランスでは、革命暦2年実月2日(1794年8月23日)法の1条で「いかなる市民も、その出生証書に表示された以外の氏も名も使用することはできない」と定め、「氏不変の原則」が確立されていた。法律上は、夫婦といえども、出生の際に取得した姓を変更することは認められず、異なる姓を使用することになっている。ただ、夫婦一体を求める結婚観から、妻は夫の姓を使用する権利を認められ、通称の姓として夫の姓を使用することが多かった。
1986年法は、社会や職場、私生活などで使用する姓の通称を明確にした。通称として使用できる姓の選択肢は、①夫の姓、②父親の姓が出生姓であるなら母親の出生姓、③自分の姓と夫の姓をハイフンで結んで列記、である。身分証明書には、出生姓の横に、この通称は明記することができるようになった。
また、いかなる子どもも、父と母の2つの姓を持つことができる。ただし、通称は、出生姓とはならない。
日本では明治時代からすでに、既婚女性は公式書類に自分の氏名を記入することができたが、夫婦が異なる姓を持つことは、現行の民法でも認められていない。
江戸時代、妻は生家の氏を名乗り、夫の氏にはならなかった。1898(明治31)年に、「妻は婚姻によりて夫の家に入り」「その家の氏を称す」と定める明治民法が制定され、妻が夫の姓を称する夫婦同姓が初めて導入された。これは、西洋の夫婦一体の結婚観の影響があったとされる。1947年の日本国憲法の成立後に、「夫又は妻の氏を称する」と改正されたが、伝統的に妻が夫の姓に変えるケースが圧倒的に多い。
選択的夫婦別姓制度は1996年から国会でも議論が続けられているが、ほとんど進展がない状態である。

 

1990年
1990年9月1日、フランスの最高司法裁判所(破棄院)は初めて、夫婦間のレイプを違法行為として認める判決を下した。
1987年
1987年6月18日、広島高等裁判所松江支部は、夫婦間でも強姦罪が成立することを認めた。
1992年
1992年7月22日法の刑法改正により、夫婦間の暴力(夫あるいは事実婚の夫による暴力)に特化した規定を定めた。夫婦間の暴力は犯罪であり、刑罰が科される。それまで、夫婦間の暴力は、スピード違反と同様の単なる違反とみなされていた。
日本には夫婦間の暴力(夫あるいは事実婚の夫による暴力)に特化した法規定はない。

 

1998年
家事分担の偏りに異議を唱えた女性たちは、1970年代のフランス民法典の変更させ、家父長制の消滅にいたらせた。経済が停滞し、失業率が11.7%(男性10.2%、女性13.8%)の1998年ごろには、働く女性の72%が、世帯収入の半分または半分以上を稼いでいる。

 

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