8月14日は日本軍「慰安婦」メモリアル・デー

8月14日は、金学順さんが日本軍「慰安婦」だったと名乗りでた日。
この日をメモリアルデーにしようと、第1回目のアクションが新宿の柏木公園で18時から行われる。
これに先立ち、2013年8月11日(日)に東京ウィメンズプラザ・ホールで、国際シンポジウムが開催された。

 

午前中の第1部ではまず、フィリピンの被害者エステリーダ・ディさん(83歳)のお話。

1944年ごろ、フィリピンでは、米軍の上陸を警戒し、日本軍はますます残酷になり、ゲリラ掃討作戦を展開していた。
14歳のエステリーダさんは、市場で家の作物を売っていたとき、ゲリラと疑われたフィリピン人たちが日本兵に殺されるのを目撃。
逃げる途中に運悪くつまずいて転び、日本兵に無理やり連れていかれたという。

彼女は涙声で、こう語った。
「日本軍駐屯地のある部屋に押し込められ、日本兵にレイプされました。次の人が入ってきて、またレイプされまた。3人目が入ってきたので、抵抗すると、壁に頭をぶつけられ、意識を失ってしまいました。
意識を取り戻すと、日本兵はいませんでしたが、リンダというフィリピン人から、『抵抗すると痛めつけられるから、抵抗しないように』と忠告されました。
翌日、4人の日本兵がやってきましたが、リンダが『この子はまだ傷が癒えていないから』とかけあってくれました。
3日目、3人にレイプされ、さらに2人にレイプされました。
こうして、3週間、駐屯地に監禁され、毎日レイプされました」

米軍に解放されたエステリーダさんは、実家に戻ることができた。
エステリーダさんは、1954年に求愛され、その男性と暮らし、6人の子どもに恵まれた。
しかし、結婚は1996年。1993年に日本軍「慰安婦」だったと公表し、夫と子どもたちと話しあった後だった。

「『性奴隷被害者は名乗り出るように』という放送をラジオで聞き、最初は恥ずかしくて躊躇しましたが、奪われた尊厳を回復するために、名乗り出る決心をしました。
日本政府には、被害者のひとりとして、謝罪、歴史教科書への記載、法律に基づく補償を要求します。
この3つが実現してはじめて、尊厳が回復するのです。
戦争を起こしてほしくありません。戦争で最も被害を受けるのは、私たちのような女性や子たちです」

リラ・ピリピーナ(被害者と支援者の組織)のコーディネーター、レチルダ・エクストレマドゥラさんは、「フィリピンの被害と現状」を報告。

リラ・ピリピーナは先月7月に21周年を迎えましたが、1992年から、終わりなく、絶えず闘いがいまだにつづいています。
フィリピンは3年半、日本軍に占領され、その間、女性たちはレイプされたり、慰安婦にされました。

慰安所は都市ばかりでなく、小さな村にも、たくさん存在していました。
全土に被害者はいるはずなのですが、リラ・ピリピーナに名乗り出たのは174人のみです。
そのうち73人が亡くなり、生存者は101人。認知症になっている人も多く、抗議デモなどに参加できるのは6~10人だけです。

フィリピン政府は、「日本政府はすることはした」とのスタンスです。
フィリピンの外務省は、「日本政府は補償、賠償した」「アジア女性基金でお金は支払われた」「2001年に小泉首相からお詫びの手紙が届いた」と主張しています。
国際的には、日本の戦争責任を求める勧告が出されていますが、日本政府は「従う義務はない」と言っています。日本政府は証拠がないといいますが、証言はたくさんあります。
これは歴史的事実であり、日本はこの歴史を尊重すべきです。
日本政府が政策を変えさせるよう、行動しなければなりません。
この日本政府を変えるのは、まさにあなたたち日本人にかかっているのです。

午後の第二部では、バングラデシュ出身で元国連安保理議長のアンワラル・チャウドリー氏が基調講演。
チャウドリー氏は、2000年10月に国連安全保障理事会において採択された「女性・平和・安全に関する国連安保理決議第1325号」の実現に尽力した。
この1325は、国連安全保障理事会ではじめて、紛争の解決や平和構築への女性の参加を強調した決議。
日本政府は2013年3月、国連安保理決議1325号の国別行動計画を策定すると発表し、12月に完成予定だ。

チャウドリー氏は次のように述べた。

1325のアイデアは2000年3月に提起しました。
それ以前は、平和と安全に関する女性の役割について、どの国もこれに応えませんでした。
常任理事国が、「必要ない。どうしていまさらそれをやらなければならないのだ」と反対しました。
これらの国にとっての安全保障は、軍事中心であり、国と国の安全保障を意味します。
人間という要素がすっぽり抜け落ちているのです。決議1325は、人間中心の安全保障です。
常任理事国は、レイプといった女性の被害には目を向けていますが、平和と安全に女性が貢献できるとは考えていませんでした。
2000年3月は提言でしたが、10月31日に決議が採択されました。
決議1325は、長い沈黙を破って名乗り出た金学順さんのような努力がなければ、実現しませんでした。

平和と安全は、男性と女性の平等と分かち合いに深く結びついています。
男性と同様の条件で、女性が参加してこそ、国が発展し、安定するのです。
戦争を女性にとって安全なものにするのではなく、戦争や紛争が繰り返されないように平和を構築するのに、女性の参加は欠かせません。
この社会は男性と女性の半々で構成されています。手を携えて行動しなければ、よい社会になりません。
男性は、女性の権利を認めると、自分たちの権利が脅かされる、中心から追いやられると考えていますが、そんなことはありません。
男性は長い間、支配する側だったのですから。

続いて、韓国挺身隊問題対策協議会常任代表の尹美香さんが、元「慰安婦」のイ・ヨンニョさん(享年87歳)が今朝方亡くなったという訃報を告げ、日本軍「慰安婦」問題と取り組んだ20年の歩みなどを語った。

ハルモニたちが被害申請してきた直後は、恥ずかしがり、顔を出したがらず、日本政府への怒りをどう表現すればいいのかわからない様子でした。
彼女たちは、制度的な教育を受けることができず、日本の植民地教育、戦場における教育、分断された南北の状況下での暮らしから身についた教育により、社会と人に対する偏見を多分に持っていたようです。
自分たちよりも弱い立場にある人が、「慰安婦」問題の運動に参加することをあまりよく思っていませんでした。

「慰安婦」という汚名で世間から蔑まれてきたのに、性売買にたずさわっている女性や米軍で性搾取される女性、性的マイノリティ、障がい者に対して、蔑むような見方をしていました。
それが、水曜デモなどを通して、そういう女性たちに対して連帯を感じ、姉妹愛に変わっていったのです。
90年代、ハルモニたちは、帽子やプラカード、サングラスで顔を隠していましたが、それらを取るようになっていきました。

そういうハルモニたちを見る若者も変わっていきました。
米軍基地の女性たちも変わり、彼女たちもサングラスや帽子をとるようになりました。
こうした変化をもたらしたのは、沈黙を破った女性、「金学順」さんです。
彼女が名乗り出たとき、「慰安婦」に対して、恥ずかしいという視線と、個人の問題としての視線がありました。
金学順さんはまた、韓国社会を変えるきっかけを作りました。
偏見を告発する社会、個人ではなく加害者の問題として認識する社会へと変えていったのです。
金さんは、アジアの女性たちにも影響を与えました。
彼女たちの歴史を忘れず記憶することが大切です。
問題を解決しない限り、どんなに長い歳月が流れても、その嫌な記憶は繰り返し取り上げられ、非難される。
こういう状況は、、罪を犯した人たちにとって、とても嫌なことだと思います。
記憶する行為自体が、このような悲劇的な痛みを再発させない重要な活動です。

京都大学の岡真理さんは、「記憶を普遍化するということ-『過去を変える』ために」と題して講演。

「過去に起きたことは変えられないが、過去に起きたことの意味を変えることができる」として、パレスチナでの実例を挙げました。
それは、「自分が昔住んでいた家を訪れたパレスチナ難民の青年は、今そこに暮らすイスラエルの女性ダリアと出会う。青年の話を聞き、ダリアは『この家を売って、そのお金を青年に譲る』と申し出るが、青年は『家を売ってしまえば、ここに来ることができなくなる』と拒否。そこでダリアは、この家を、パレスチナの子どもたちのための幼稚園にして解放した」という実話。
岡さんは、「このように、過去の意味が変わります。他者の痛みを自分の痛みとして受け入れることで、加害者と被害者の違いを踏まえたうえで、共生する場を作っていく。ともに共生の未来のために、関係を作っていき、敵対が、やがて共生へと変わるというように」と語りました。

また、8月14日を国連デーにしようという取り組みについては、パレスチナ人民国際連帯デーに言及し、意見を述べました。
「国連デーは方便。国連の記念日になることで、何が実現されたかというと、パレスチナにおいては、実際的な効果はありません。悪化を更新しているだけです。
国連はパレスチナを忘れてはいませんよ、というアリバイ証明にすぎません。
メモリアルデーのネーミングですが、「戦時性暴力」といった広い意味のネーミングにすると、抽象化されることで、多くのものが包括され、自らの責任を曖昧になるのではないかと危惧します。
東南アジアでの日本やヨーロッパの男性による性暴力は、ネオリベラリズムとつながり、「慰安婦」ともつながるが、「戦時性暴力」とはつながりません。
記念日にするのを目的にするのではなく、その内実、どのように有効なものにするかが大切です」

(2013年8月14日)

悍ましい過去は消えない…元「慰安婦」たちの声より
2014年5月末に来日した6人の元「慰安婦」は、河野談話後に発見された関連公文書等529点を内閣府に提出した。元「慰安婦」たちは、涙ながらに悲惨な体験を話し、「2度と戦争をしてはいけない、私たちのような犠牲者を出してはいけない」と訴えた。
紛争時の性暴力撲滅に逆行する日本の「慰安婦」問題
旧陸軍兵士に監禁されたフランス人女性2人が性暴力が明らかに。日本は「慰安婦」を否定しているが、世界的には紛争時の性暴力の撲滅を目指す国際的な動きが活発化している。『The Japan Times』2015年3月5日に掲載された記事の邦訳。

「慰安婦」問題に関する記事一覧

植民地問題に関する記事一覧

「慰安婦」は世界の性暴力被害者救済の原点『日刊ベリタ』2008年6月28日
「少女像」作家が来日講演――日韓合意の「撤去」批判 金曜アンテナ『週刊金曜日』2015年3月4日号

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