90年代末にフランスでは”独身女性”現象が話題に2/2

1990年代末、フランスでも注目された独身女性現象。

社会学者ジャン=クロード・コフマンが1999年に刊行した『La femme seule et le Prince charment(独身女性と素敵な王子様)』は、多くのマスコミに取り上げられ、話題になりました。

「独身者」の存在が社会的に認められるまでの歴史。「独身者」への視線から、「結婚」のあり方が見えてきます。

以下、一部翻訳です。


第1章

1 ひとりで生きる:長い歴史

独身の歴史は、特に女性の歴史である。「嘲弄の言葉、さもなければ、枠外、さらにはアブノーマル」(Farge 1984 p296)。独身にいたる長い道のりはどこからはじまったのか?

結婚すること

人間社会を構成するものは、①宗教:社会関係のオリジナルの形、②結婚:文明の基礎であり、人間の歴史を貫いている。民俗学では、結合という言葉を好むが、この言葉は、結婚の中心的機能を表す。より大きなコミュニティにおける結合であり、戦争を避けるための小さなグループを含む(女性の交換)。

夫婦生活の具体的なあり方に何の意味も与えない起源から、結婚は中心的な位置を占めていたといえる。それは今の時代とは全く違ったあり方であり、種族によって全く違っている。ある社会では、夫婦は別々に暮らしていた。重要なことは、結婚によって封印された血族関係であり、2つの家族、2つの社会のグループを結びつけることである。しかし同時に、特別の二人の結びつきでもある。公共の秩序と、集団的利益の問題。結婚は、二人の人間の個人的結合(ユニオン)とみなされてきた。

ユニオンという言葉は、より強い意味として捉えなければならない。現代のカップルは、パートナー間において、普通より親密で、相互主体的なコミュニケーションの方法が開かれている。平行して、特に、個人の自律が強調される。これが不安定さの要因となり、同盟(alliance)契約の崩壊へと導く。反対に、原始社会では、私たちのような親密さが存在しなかった。結婚としてのユニオンが全てであり、個人を超越していた。完全な永続的な構成だったのである。

耐えがたい独身者

それゆえに、独身者は、自然に反すると考えられていた。このような社会において、独身という事実が生じたとき、それは耐えがたいものとして感じられる。非常識さと危険性をそれぞれが包み隠そうとした。もしくは、とんでもない不幸者に結婚を強要させ、独身者を抹消しようとした。アフリカのChaggaでは、女性との接触を恐れ、結婚を拒否する男性が現れることが何度かあった。それは、首長が関わるほど、重要な問題であった。 「独身の男性ほど、アブノーマルで、軽蔑され、敵意を持たれる地位などない」(Heritier 1996)。

不屈の人々の中には(とても珍しい)、独身を維持している人もいた。彼らは、呪われていると疑われ、悪い精神とみなされた。そして、彼らを排斥することで、社会秩序が回復される。やもめは、以前結婚していたということから、少しだけよかった。未亡人は反対に、独身女性よりましと考えられることはほとんどない。現代でも、結婚から離脱した女性は、同じ状況の男性より否定的で、非常識とされている。もちろん、独身女性は、未亡人よりひどい。中国皇帝の時代において、男性と関係を持たずに死んだ処女は、他の悪魔がその道から離れるほど危険で冷酷な悪魔と見なされた。しかし、やもめのように容認されない未亡人は、女性にとって、とてもアブノーマルだということを意味する。Ojibwaでは、未亡人は3、4年、喪に服す。人里離れ、髪をとかさず、ボロ服を着て、灰におおわれて過ごす。インドの伝統では、未亡人は、夫婦のベッドにもはや寝る権利はなく、土間に寝て、質素な食事をし、孤独で控え目な生活をする。死によってのみ名誉を回復し、夫の葬式で生きたまま焼かれた。

グレート・バッファロー・ウーマン

結婚の義務に従わない人もいた。身体障がい者や他の先天性障がい者は、規範のノーマルとして認められず、コミュニティから排除される。より自発的な方法で、禁止に立ち向かうこともあった。変質者は悪魔と交流を保つと非難されて生きた。男性は特に、独身であることで、誤解されることが多かった。しかし、社会秩序において、それほど危険がないのならば、女性の独身者より容認された。女性独身者は、コミュニティがなければ何の価値もなく、男性がいなければ、何の価値もない。独身女性は二重に耐えがたかった。

それに挑もうとする女性の中には、計略を用いて耐える人もいた。Francoise Heritierによると、インディアンのOjibwaのグレート・バッファロー・ウーマンのように、特別の才能を証明する人も存在した。彼女は、自給自足の方法を学び、狩りの規則を尊重しつつ、男性の地位に達した。女性でありながら、彼女は社会的に実際の男性となった。

反対に、独身男性は、女性的な面を発達させることはめったにない。どちらかというと、家庭の女性によって担おうとする。彼らが恥を感じずにできる唯一の家事・料理は、男性のシンボルである火に関したことである。だから、男性は肉を焼くのを好み、バーベキューの肉を焼くのは男性なのである。

パラドックス的に、逆境の中にいたにもかかわらず、初期の独身女性は、男性独身よりもより大きく自律心を発達させていくことに成功した。しかし、これらのケースは、例外的であり、すべての女性は男性に服従するというモデルはそのまま残った。バランスの概念に基づく社会においては、結婚が社会秩序のベースとなっていたため、独身の男性もまた、例外だった。ある日、このバランスが崩れた。

正当化された最初の独身者

今日の独身生活に導いた一連の事実を、簡単な言葉で語るのは、夢のようなことであり、不可能である。歴史好きなだけではなく、歴史家でなければ、それはできないことだろう。その研究は、未開発のままで、性や結婚のような、より扱いやすい課題の周辺に追いやられていた。

何をするか。19世紀からはじめるか。
最も瞑想的で統合的な純粋な宗教は、初期の頃の宗教である。思想の歴史は、ゆっくり発展的な社会の動きにおいてみることができる。Marcel Gauchetによると、最初の重要な断絶は、3000年前の国家の出現であるという。最初の残酷な出来事は、ペルシャから中国へ、インドからパレスチナへの時代。唯一神の考えが作られ、来るべき重大な大激動となった。神と個人的関係の条件(コンディション)が準備された。しかし、決定的な革命を導入したのはキリスト教である。天と地を対にし、それぞれに永遠の救済を得ることができるという行動を厳命し、運命はもはや決定的な集団的な封印ではなく、個人の計画は人間の生活の中に導入され、存在の断層を開き、自己の熟考に向かわせる。

個人主義の発展は、独身の発展と混同されたりしない。独身の発展は、個人のカテゴリーに固定されるのに、個人主義の発展は、社会と共に密接であった。初めの頃は、独身、同じく孤独が本質的な役割を演じていることは明かである。それを考えるために、世界を分けなければならなかった。Louis Dumontは、孤独の美徳によって、神との個人的交流を探ることで、隠者がどのようにして近代性の先駆者であったかを分析した。

ここで最も重要な事実は、歴史上はじめて独身としてのスタイルが正当化されたことである。個人の創造性に自由を求め、より改革者である知識人は、修道士の服を着る傾向にあった。その時代の革命者エラスムス(オランダの人文学者)は修道士だったため、考えを体ごとぶつけ、ヨーロッパを横切ってひとり旅をし、情熱的な論争のグループに加わりながら、作品を完成させていった。

紳士服を着たジャンヌ・ダルク

社会の動きは、社会の輝かしい頂点、ヒーローや天才によって作られていく。独身のもうひとつのモデルは、組織社会に拒絶された暗い底、下層部で、発展していった。女性の側においては、売春や悪魔というプロフィールを与えられる。男性の側は、森や農業の分野において、炭坑労働者やならず者が、呪いの力とも頻繁に接触すると考えられていた。その他、みじめな放浪の騎士、土地のない家族の末っ子、あらゆる冒険に対する障がい者、学生、うさんくさい宗教家などあいまいな人物も同様にマークされた。彼らは、上層部か下層部か。一連の彼らの存在は、それぞれの意識において書かれているので、はっきりしないことが多い。独身の軌道の実際的な構成がすでに表れているが、それらの特長は、基本的に矛盾している。

ジャンヌ・ダルクは、この見地から、模範的なケースとして代表している。奇妙な目的を維持するという訓練などしなかった憐れなジャンヌ・ダルクは、アウトサイダーと見なされる運命にあり、歴史に名を連ねる前に、魔女として焼かれた。この出来事により、彼女は、単なる羊飼いの地位から、より高い兵士としての機能へと、最も驚くべき社会的流動性の道程を広げるに至った。どのような方法で? 不屈の内面的確信と、ラディカルな独身者。エラスムスがそうだったように、ジャンヌ・ダルクが家庭的な他の役割を演じ、家族の世話に献身的だったら、行動は達成されなかっただろう。反対に、彼女は自分の意志のためのみに生き、彼女がイメージした運命において身も心もささげ、それを実現した。彼女が実現したこと。周囲の敵意に立ち向かい、内面の声、内観性の力によって守られた。

1431年5月24日、一度だけ、ジャンヌダルクは、拷問に耐えられず、ためらった。3日後、内面の声に誠実になることで、彼女は力を盛り返した。活力を誇示するために、新しい紳士物の服を着た。この大昔の時代、より人目を引く、自律した女性の軌道は、男性の特性を含んでいなければならなかったということを確認することに、困惑させられる。男性によって支配されたこの時代において、ジャンヌダルクは、グレート・バッファロー・ウーマンのように、ありふれた女性を越えるためには、少し男性的にならなければならなかった。この奇妙な形から、全く前例のない甲冑の処女のアイデンティティが生まれた。独身生活へ向かう歴史的発展の見地から見ると、ジャンヌダルクは反対に、奇妙さを失う。過激な人、非凡な意志力を持った、しかし変ではないパイオニアと見なされる。

これらの数行は、ジャンヌダルクに別のイメージを持っている人を冒涜する伝統破壊者と見なされるかもしれない。たくさんのイデオロギーの回収の試みを目的としている人。それは特に、驚くべき主題をもたらす独身の歴史の欠如であると思う。伝記は、分析のカギとしての独身者とは全く違うのである。しかし、ジャンヌ・ダルクの独身者としての歴史は書くのは難しい。なぜなら、独身はとても大きく複雑なたくさんのプロセスに密接な方法でかかわっているからである。つまり、社会の個人主義化なのだ。

自己との対面

この本において、私は独身女性とそれとは違う人の間に関連する2つの問題について扱っていく。独身者とはもちろん、現代の形において特に、ひとりで生きることを意味する。しかし同時に、独身者が参加する、より一般的なムーブメントであり、社会の個人主義という、表明するしかないものである。Louis Dumontは、発展的に解放される本来のモデルの大きなラインを描いた。それは敵対の社会モデルであり、個人が自分を含む全体の単なる一部であるとする社会である。:未来はすでに決定された運命であり、真実とモラルは、集団的に規定されている。個人のアイデンティティは、それ自身、集団において与えられた場所によって限定される。

私たちの社会は、別の展望、完全に逆へと開いている。個人における中心の決定、自己限定に向かわせ、選択を強く促し、選択そしてまた選択。そして、どんなときでも、どんな分野においても選択を促す。メディアにより普及した可能な答えの提供にもかかわらず、真実を選ぶことは、より豊富で矛盾している。そこに、伝統によって伝えられた昔の日常生活の最もシンプルな行為に関して理解される。非常に広範囲な価値の世界において、モラルを選ぶことは、禁止された小さなグループだけを排斥することになる。社会関係を選ぶこと、そして関係の財産を構築することは、今後、働きと才能を要求することである。未来をイメージし、シナリオや計画で介入するのは、運命という考えを廃れさせることである。自分に適したアイデンティティを自分自身で限定し、作り上げることは、他の誰にも任すことではなく、特に社会がやってくれることではない。自分が誰で、誰になるかを断言する慎重さとなる。現在と未来の発明は、内面の働き、自分と向き合うこと、内観性を必然的に意味する。それは、孤独を意味してはいない。Norbert Eliasによると、反対に、内面の掘り下げは、相互依存関係の多様化と多種化に関連すると指摘している。個人主義は、閉鎖的後退ではない。

もうひとつの誤解も取り上げなければならない。個人主義の抑制できない激動の特性は、当たり前のように、崩壊もなく、展開することを意味しない。反対に、何世紀もの間に何度も、すさまじい逆流がさまざまな局面において状況を混乱させてきた。同時に、歴史の舞台での個人の台頭は、具体的な個人が完璧に、自分の行動に責任を持ち、自分の振る舞いに理性的でいると考えるように導くとは限らない。現実は、モデルからとてもかけ離れている(1997 Kaufman)。しかし、その意味することは、長期的なムーブメントの意識である。責任化は常にとても強く、自分らしい生活の自己形成に対する意志である。

個人主義の一般的なムーブメントと、独身の関係は複雑である。起源においては、個人主義の前提条件は、独身者の個人によってイメージされていた(Dumont 1983)。しかし、今日、自己の存在を引き受けようとするよりアクティブな人々(結婚していても)と、カップルで生活しない人々(自己制限の考えを拒否する人)との一致は、とても曖昧である。例えば、独身生活は、意図的に調査されることはめったにない。特に、増加の傾向にある独身生活社の多くは、もはや抜け出そうとしていない(少なくともある時期の間は)。もしくは、脱出の条件に対する要求が多くなっている。このような場合、独身生活は、個人の中心決定の、拡散した多様なムーブメントの最も明らで、最もラディカルな表明となるのである。

(2013年9月11日)

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