90年代末にフランスでは”独身女性”現象が話題に1/2

1990年代末、フランスでも注目された独身女性現象。

社会学者ジャン=クロード・コフマンが1999年に刊行した『La femme seule et le Prince charment(独身女性と素敵な王子様)』は、多くのマスコミに取り上げられ、話題になりました。

日本にも通じる現象だけに、さっそく買って読みはじめたのですが、途中で挫折。
邦訳が出ているようですが、「まえがき」と「第一章」の最初だけ翻訳してあったので、ご紹介します。

原書が手元にないため、間違えがたくさんあるかもしれません。

10数年ぶりにこれを読んで、「男性の孤独」について多く書かれていたのが印象的でした。
日本では、「男性の孤独」について触れるのはタブーみたいなところがあり、あまり議論になりません。
もっと語ってもいいと思います、男も孤独だってこと。

以下、翻訳です。


この本は、独身女性とハンサム王子の奇妙なカップルに関するお話である。現代版おとぎ話の一種ではあるけれど、同時に事実でもある。主人公は独身女性で、彼女たちは、この物語のなかで、いたるところに出現する。彼女たちはいたって善人で、最小限の行動においては言葉で表し、夢と思考で様子をうかがっている。王子様は曖昧な姿であり、めったに現れない。時代遅れの決り文句が、今の時代に繰り返されるのか。その判断を下すには、物語の最後にならないとわからない。

分析が示しているのは、幻想と現実を行き来する王子様の永遠の旅。王子様とは誰か。おとぎ話の王子様を夢見ている女性は、どんなにすばらしくても、王子様が創造の人物であることを知っている。王子様と呼ぶのにふさわしい男性を現実の社会に求めている女性は、日常的な視線をくらますことに満足している。彼女たちは、王子様など現実には存在しないからこそ、日常の王子様を信じることができる。この2つの違いを区別するために、おとぎ話の王子様には大文字をつけ、現実世界の王子様は小文字にする。2つの王子様、Princeとprinceがいるのだ。

この本は、物語を語るだけのものではない。物語は口実でしかなく、複雑な迷路のような独身生活の分析を解きほぐすアリアドネの糸でしかない。しかし、読者は、いくつかの章をざっと目を通し、おとぎ話の王子様と現代のシンデレラの冒険を追いながら、分析よりむしろ口実を選ぶであろう。

私は8年間に渡り、独身生活と孤独の問題について研究してきた。新しいカテゴリー、非常に独特な多くの問題を証明することのみに、長い時間をかけた。過疎地域の男性の孤独、主婦の孤独感情などである。方向性のない特性を積み重ね、ごちゃまぜの結果を作り上げ、ある到達点にいたった。被害者を知るというパラドックスである。人間について知れば知るほどわからなくなり、知らなければ知らないほど、人間ははっきりと断言することができる。独身生活を送る男と女についての予想。不思議な存在に対する理由を与え、来るべき未来の決定させる、はっきりしたメッセージの理解である。

ゆえに、これは考察された観察である。アリアドネの糸をときほぐし、中心のプロセスを理解するために行われるすべて。特殊でありマージナルなカテゴリーは無視する。農家におけるカップル形成の難しさ、専業主婦の孤独、その他多くの問題であるミクロな状況については言及しない。高齢者の孤独についても述べない。男性については、ほとんど語っていない。マージナルなカテゴリーを重要視しないという、その欠如は残念ではある。しかし、あらゆる課題を掘り下げるには、それがいい。内容が複雑なときは特に、的を絞らなければならない。

ここで中心となるのは女性である。女性の選択は恣意的ではなく、特別な年齢を選んだわけではない。20~50才の女性たちをランダムに選んだ。なぜなら、後で述べるように、社会システムは、彼女たちの力により最大限に機能している。ひとり暮しとカップル生活という2つの対立した構成を、独身生活がどのような方法で合体するかをみようとしている。プライベートという暗黙モデルのせいで、その年齢の女性たちは、家族への心身の献身という他の場所を割り当てられている。自律の欲動と暗黙モデルのプレッシャーの間で、独身女性は台風の目となり、苦悩に悩まされている。どうして、どのように、この存在が苦悩なのかをいつも考える。また、彼女たち自身について多くのことを書いた。送られてきた手紙を分析し、膨大な調査の研究を総合したのが、事実に基づいた局面の表現(特に2章に描写された肖像画)となった。

多数の点で、男性の独身者は、女性のそれと似ている。女性と同様の不安のないエネルギー、同様の理想的な生活への渇望により、伝統的な生き方に身を投じる。そして、女性と同じように疑問と質問の時期がやって来る。何度も孤独の痛手を感じ、その冷たさは、対を成す女性になんら劣らない。家族や子供が欲しい。温かい親近者や社会的認識、家庭の平静さとノーマルさ。だから、独身の男性もこの本を読むことができるし、多くの個所で同意することができる。引きこもり、突然の外出(彼女を今夜探そう)、存在の軽さの喜びと辛さetc。彼らはときどき、本来の日常生活にもかかわらず、より鮮明に、よりはっきりと、生活の構成メカニズムを見るたびに驚く。そして、近くの女性の側をこっそり観察する。例えば第3章では、ポジティブな外見についての表現や、女性たちの半分が他者による視線でアイデンティティを確立するというように、「殻のロジック」がどのように独身女性に影響するかを考察する。男性も同様にこのプロセスを通過するが、より弱く、より容易に内面の苦痛を認める。男性にとって「殻のロジック」は、「見た目のパラドックス」にまで発達しない。女性たちの中には、親しみやすい状況を保つために、なかば脅迫的に印象的で完璧過ぎるまでに、「見た目のパラドックス」を意識する。

独身生活は、孤独であるべきではないが、しばしば孤独に襲われるのは事実である。男性の孤独は、女性のそれより強くないというのではない。測定は難しいが、男性にとって孤独は、少しだけ女性より重大だろう。男性は、女性(母、愛する女性)の存在で、愛情に包まれているのに慣れているからだ。男性は家庭生活であまり自律していないからである。突然本質的な支えを失うことは、本物の具体的な孤独となる。少し違う形で、不在の虚しさは女性の側にも認められる。夫婦に対する期待が伝統的にかなり大きな割合で集中している場合、それがよく認められる。しかし、それは心の乱れを伴う要素でしかない。より強力なのは、社会のメカニズムである。孤独は捉えがたく、他者の外在性によって作られる。社会学は、そこが研究課題であることは明かだ。

第1章は、状況、特に歴史的なことを取り上げている。独身者に関する一般的な論議や考察は、どこから生まれたのか。第2章は、人物描写は社会のメカニズムの産物であり、それゆえに一貫性を持つ。その人物描写のために、日常生活のさまざまな細部を見ていく。第3章は、重要な解説のカギとなる、自律の軌道についてである。独身女性は、その状況にもかかわらず、誘いこまれる(訓練される)ことに気づき、独身女性という存在をよりよく生きなければならないと強いられる。女性たちは葛藤することになり、献身的な女性か自律した女性かという2つの違うラディカルなアイデンティティの間で、やっかいな衝突が生じる。そして疑問が心につきまとう。

私の最新刊『Le Coeur à l’Ouvrage』では、どのように家族は日常の負担と関わって構成しているかを分析した。個人のアイデンティティは、家族の習慣と物質(目的)が負う重さよって、どう順序立てられるかを分析した。それによると、自己実現を裏返す他の可能性を発見するだろう。具体的な不動の大衆によって得られる安定と平静さはない。反対に、存在のままにふらふらするアイデンティティの不確かさと軽さがある。独身女性をわずらわせている主な問題は、家事への抵抗であり、その事実は偶然とはいえない。家庭の負担は、アイデンティティの他の選択(家族)としての単なるシンボルやマークであるがために、女性に特に負担がかかり、遠い過去の継承物という秩序の中に固定されてしまう。自律のたどった道は、女性を別の見知らぬ開いた世界へと投げ出した。より大きな喜びが、日常生活の自問からやってきた。やりたいことだけをやりたいときだけにやる。料理をせずに、少しだけかじる。しかし、同時に、より混乱したトラブルも生じる。何ものにも執着しない限界のない人生の意味とは何か。夢が対極しながらぶつかり合い、王子様がその時々に合わせて顔を変える。家族生活が理想となったとき、王子様は静かな夫で父といったものに変身する。愛の理想(平凡さをあきらめない)に結びついた自律がすばらしい価値として留まったとき、非現実的な完全性が際立って残る。

男性の側には、ハンサム王子のようなものは存在しない。なぜなら、家族の結びつきや理想の愛は重要だと思っていても、それに対する野心には限界がある。男性は、だんだん家族や愛に夢を持つようになったが、まだ女性ほどではない。

男性の孤独は、生きていくうえで非常に辛いものである。男性の孤独は、プレイベートな問題を含んでいるからだ。女性にとって独身生活は、プライベートの問題であり、同時に公的な問題であり、社会全体にかかわるため、この点が男女で大きく違う。結局、自律の軌道に乗り出すことで、女性は自分自身に縛られない決心をしたのだ。彼女たちは、献身的な女性の役という家族ベースの構築を、再び問題として取り上げたている。あらゆる社会機構を脅かしながら。

我々は、自律した女性という抑制できないムーブメントの飛躍から生じた疑問に問いかけているだけなのだ。

(2013年9月10日)

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