事件発覚から3日目の3月20日、警察はAさんの尾行・張り込みをはじめた。尾行・張り込みは、任意取り調べが行われた4月14日まで、昼夜を問わずつづいた。
その後に判明した事実も、Aさんの嫌疑を強める証拠として利用されていく。
3月22日、被害者の携帯電話の発信記録から、殺害後の3月17日午前0時以降、A工場内の電話番号宛に発信されていたのがわかる。捜査本部は、18日から23日まで捜査を行い、これらのA工場の電話番号が電話帳等に登載されていないことを知る。
3月23日、被害者の携帯電話に残されたメールの送受信記録の捜査で、被害者が15日夜、同僚のKさんに、Aさんに対する苦手意識を伝えているメールが見つかる。
3月24日には、Aさんの携帯電話から被害者の携帯電話に、3月12日の午前4時51分以降、12日に3回、13日に8回、14日に3回、15日に1回発信されたのがわかった。
これらの捜査結果から、捜査本部は、Aさんに「相当な嫌疑」をかけることになった。判決文に記載されている、警察の作り上げたストーリーは次のような内容だ。
Aさんは、別れ話を持ち出されたGと被害者とが会っているとの猜疑心に駆られ、Gの行動を探っていた。依然として、Gに対し、強い未練、執着心を持っていたことは明らかだ。
Aさんと被害者との間に、同月16日の退社後、Gに関する何らかの話し合いのため、行動を共にする予定があったことは明らかだ。
3月17日の事情聴取で、被害者の携帯電話番号は知らなかったと供述していたが、Aさんは被害者に無言電話をかけていた。無言電話は、殺人事件直前の16日午前7時40分を最後に一切なくなった。この事件がAさんの犯行であることが強く推認される。
被害者の携帯電話が発見されたロッカーは、男性社員が出入りすることがない女子更衣室にあり、各ロッカーには名札等の表示がない。部外者が入って、被害者のロッカーに同携帯電話を返納することは不可能だ。Aさんは、被害者のロッカーに被害者の携帯電話を戻したと推認される時間帯に不自然、不可解な行動をとっていた。
犯人は、殺害した後、被害者の携帯電話を奪った上で、被害者の携帯電話を使用している。架電先は電話帳に登録がないA工場の電話などだった。Aさんは、その関係者で、唯一、発信エリアに居住する者であり、該当する人物はAさん以外にはいない。
死体発見現場は、人家もまばらで、車両や歩行者の通行も閑散とした農道だが、Aさんはその近辺に対する十分な土地鑑があった。
こうした裏づけのない主観的証拠だけで「相当な嫌疑」をかけられたAさんは、4月14日から、被疑者として任意取調べを受けることになる。
では、これ以外の捜査では、どのようなことがわかっていたのだろうか。
関係者のアリバイ捜査報告書は6月9日付になっており、Aさんの逮捕後に作成されている。アリバイ捜査は、A工場関係者全員ではなく、B事業所関係者51名だけに行われた。
被害者の交友関係の捜査も行ったとされるが、全容は明らかになっていない。
3月17日、現場付近住民に聞き込み捜査を行い、炎の目撃者から話を聞いている。また、現場近辺で2台の車を目撃したという証言も得ていた。
炎の目撃に関しては、第一次再審請求で開示された3月17日付供述調書から、証拠の隠蔽が発覚した。いったん鎮火した炎が、午後11時42分に再び大きくなり、30分以上もの間燃えていたという証言は、一審では隠されていた。
死体損壊時刻は、最初の炎を見たという証言から推定したというが、5月23日の逮捕状で「11時15分ころ」と記載し、6月13日の起訴状では「11時頃」に変更された。民事訴訟の判決文では、捜査本部が死体損壊日時を「3月16日11時ころ」と判断した理由について、「U氏は、3月16日午後11時から11時15分ころの間と供述。V氏は、16日午後11時15分ころと供述した」ためと述べている。
また、2台の車の目撃証言も警察と検察は隠蔽した。警察は、3月17日に2台の車の目撃者に聞き込みを行い、供述調書を作成していたが、Aさんが起訴されたとき、この調書は検察の取り調べ証拠に入っていなかった。第一審の係争中、目撃者から弁護団に連絡があり、この事実が判明したのだ。
任意取り調べの開始後も、警察にとって都合のいい証拠だけを集め、Aさんの容疑を固めていく。
任意取り調べの初日の4月14日、午前8時31分から午前11時20分まで Aさん宅の家宅捜索が行われた。このとき、被害者の携帯電話番号が記載されたメモ、千歳市のコンビニエンスストアSで3月16日午前0時1分に灯油用ポリタンクと灯油を購入した際のレシートが発見されている。
警察は17日と18日に現場の残燃物等に含まれている液体の成分について鑑定を行い、4月7日に同液体が灯油であるとの鑑定結果が得ていた。灯油の発見はAさんへの不信を強める決め手となる。社宅の捜査で見つかった灯油の入った灯油用ポリタンクが、Sで販売されている灯油用ポリタンクと同種の製品であることを突き止めた。
また、警察はこの日、Aさんの車も差し押さえた。その際、ガソリンスタンドの領収書を発見する。3月16日午前0時8分付けのガソリンスタンドQ発行の領収書と、16日付のガソリンスタンドE発行の時間不鮮明な領収書だ。捜査の結果、Qにおいて16日午前0時8分ころに1000円分(9.62リットル)、E店において16日午後11時36分ころに1000円分給油していることがわかる。
警察は、3月17日に炎の目撃者から、「午後11時42分の炎の大きさは最初と同じぐらいだった」との証言を得ている。いったん鎮火した炎が自ずと再び大きくなるとは考えられず、そこに誰かがいたと推測するのが普通だろう。その時間、Aさんはガソリンスタンドにいたのは明らかだ。にもかかわらず、警察は依然としてAさんへの疑念を和らげることはなかった。
Aさんの車から採取された18個の指紋は当日に対照依頼を行い、17日ころ結果通知を受けたが、被害者の指紋は見つからなかった。血痕や尿などの鑑定でも何も検出されていない。
このAさんの車の捜査で、最も中心的な証拠とされる「ロッカーの鍵」がダッシュボード内で発見される。ロッカーの鍵には、前任者のつけたお守りがついていた。女子休憩室のロッカーに鍵をかける習慣はなく、ここを使っていた社員たちは、被害者が鍵をかけていないことを知っていた。
このロッカーキーの押収手続きは不明瞭であり、捜査機関の証拠ねつ造の可能性が高い。発見したときの状況について、一審の第2回、3回公判で、最初に発見した千歳署の巡査部長は次のように証言している。
ダッシュボックス内に鍵を発見し、それが被害者のロッカーの鍵と酷似すると判断したためN事業所に鍵を持って行って被害者のロッカーの鍵穴と照合したところ、一致したため、急いでロッカーキーの差押許可状を得て差し押さえた。発見した状況の写真は撮っていないと思う。写真を撮る指示はなかった。ロッカーキーのあった場所は、ボックスの奥か手前か、記憶にない。発見時刻は差押許可状に書いていない。
任意取り調べがはじまった翌日の4月15日、被害者の遺品の残焼物が見つかる。発見場所は、Aさんとのつながりを匂わせる町民の森だ。Aさんの自宅から3㎞強のところにあり、通行人の往来は全くないが、Aさんはここを歩く自然活動に何回か参加していた。
残焼物を発見したのは、その活動団体の会員。4月10日と13日の午後5時30分頃、会の会長Jがその付近を見回ったときにはなかったという。4月10日午前9時頃から11日午前11時にかけては56㎜の豪雨で、砂利道は水がたまり、車が走行できないほどぬかるみだったという。押収されたAさんの車には泥や水しぶきの跡はなかった。
3月20日から4月14日の朝まで刑事2名が1組となって尾行していたのだが、警察は、「Aさんが自宅から森に灯油を下げて遺品を焼きに行くのは可能である」と言い張った。一審で尾行を担当した4人の警察官は、「警察官2名は一晩中町営住宅の駐車場付近に車を停車させて1時間毎にAさんの車を見に行っただけで、他の出入り口を見てはいない。住宅の出入り口は3か所あって、1時間毎の見張りの合間にAさんが警察官のいない別の出入り口から町民の森に遺品を焼きに行くことは可能だった」と口をそろえてそう証言した。
4月17日、警察は、社宅から発見された灯油用ポリタンクの灯油と、死体発見現場から採取された灯油との異同識別について鑑定を嘱託した。
またこの日、被害者の携帯電話の着信記録の捜査を行い、3月12日に21回、同月13日に128回、同月14日に54回のAさんの携帯電話からの着信が記録されていたのがわかる。
4月19日ころには、Aさんの車の走行状況に関する捜査を行っている。ガソリンスタンドQから帰宅し、その後、B事業所に出勤して、退社後にM店に立ち寄った上で、ガソリンスタンドE店を訪れた場合の走行距離を調べるのが目的で、合計約46.2キロメートル程度になるとの結果を得た。
伊東弁護士が出張中の4月21日、厳しい任意取り調べが行われた。この取り調べでAさんは意識がもうろうとなり、夜8時半ごろ取調べは中止された。
翌日4月22日、Aさんは千歳署からの出頭要請を拒絶。4月24日、精神科病院で心因反応との診断を受け、4月26日に入院。そして、退院した翌日の5月23日に逮捕された。
4月21日に任意取り調べを行ったのは「相当な嫌疑」があったからだと、その正当性について警察は次のように述べている。
Aさんは当初、退社後の行動に、ガソリンスタンドで給油し、自宅近くのコンビニエンスストアに立ち寄っていたことを言わなかった。4月18日にやっと給油の事実を認め、「お金がないので1000円分だけ入れてもらった。残量は見ていない」と供述した。お金がないのに、残量を確認することなく給油すること自体不自然であり、当時、車両はガス欠寸前であったと考えられる。3月16日午後0時8分ころにガソリン9.62リットル給油してており、供述した走行経路の合計距離約88.8キロメートルでは、急遽給油する必要が生じるはずはない。そうすると、死体発見現場からガソリンスタンドE店までの15キロメートルを走行徘徊したと考えられた。
Aさんは、あたかもGとの交際は終わった如く周囲の者に思わせる偽装工作を行っている。しかし、Gに対し、執拗な未練と執着心を持っていたことが明白に裏付けられた。
Aさんの自宅で、被害者の名前や他の者の名前・電話番号が記載されたメモ紙が発見された。
灯油を購入した理由について、借りている社宅の立退きの話があり、片付けるのにストーブを焚くためと供述したが、捜査の結果、立退きを要求された事実がなく、社宅にあった灯油とSで購入した灯油とでは成分が異なることが判明し、供述が虚偽であることが明らかとなった。
被害者の焼損遺品が発見された付近に対する十分な土地鑑を有していたことが明らかとなった。
Aさんの車のダッシュボードの中から被害者のロッカーの鍵が発見された。Aさんがその鍵を使用していた時期は一度もない。Aさんは3月17日午前9時ころ更衣室に行き、被害者のロッカーを開けて施錠の有無を確認している。この鍵は、殺人を計画していたAさんが、偽装工作のために被害者の携帯電話を被害者のロッカーに戻す際の開錠を考えて、隠匿していたものであることが容易に窺われた。
ここまでが、Aさんが罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由である。
つまり、任意取調べにおける嫌疑は、「恋愛のもつれという動機の存在」「最後の同伴者」「退社後の疑わしいアリバイ」「被害者の電話番号の既知」「被害者の携帯電話をロッカーに戻した可能性」「死体発見現場の土地鑑」「被害者の携帯電話使用の可能性」「ガソリン給油のアリバイ供述の矛盾」「被害者の携帯電話番号の記載されたメモの所持」「灯油の購入とその所在の不明瞭さ」「被害者の遺品焼損現場の土地鑑」、そして、「車から発見された被害者のロッカーキー」であり、何ひとつ直接的な証拠はない。
次に、非人道的な任意取調べについて検証する。