#MeToo前に新聞社で起きたセクハラ疑惑事件(1)

#MeToo運動のきっかけのひとつとなった福田財務事務次官のセクハラ報道。その1ヶ月前の2018年3月に、北海道新聞(以下、道新)のセクシュアルハラスメント(以下、セクハラ)がらみの民事訴訟が和解終了しました。

訴えていたのは、道新函館支社の嘱託看護師Mさんの遺族です。Mさんは、2014年12月の忘年会でセクハラ被害に遭ったと会社に相談していましたが、翌年2月21日未明に自宅の火災による一酸化炭素中毒で亡くなりました。Mさんは死亡する前日、道内のメディア8か所を含む13か所に告発文書を郵送しています。

遺族は、セクハラが原因でMさんは自殺したとして、2015年8月に訴訟を起こしました(セクハラ事件で女性が自殺し社員が書類送検――問われる『道新』の企業責任「社内のセクハラ被害で自殺」――『道新』の対応を民事提訴『週刊金曜日』)。

道新側は、「セクハラの事実はなかった」と主張し、「対応の落ち度」も認めませんでした。結局、2018年3月27日の和解で、セクハラをしたとされていた社員らに法的責任がなかったことが確認されました。

葬られた#MeToo運動前のマスコミのセクハラ疑惑事件

告発文書の真偽の確証はとれませんが、会社に提出した「ハラスメント相談報告書(修正版その2)」に、本人がかなり具体的に、生々しくセクハラの実態を描写しています。#MeToo運動以降、セクハラ被害者の訴えは“事実”であり、それを疑うことはセカンドレイプとみなされる傾向にあります。現在であれば、Mさんの告発も、“事実”として扱われたのかもしれません。

マスコミ関係者がセクハラ問題を積極的に語り出した大きなきっかけは、2018年4月に週刊誌が報じた財務事務次官のセクハラでした。

2015年のMさんの告発文書には、

どうか一社でもこの件を記事にして欲しい、もう道新と戦うのに疲れ果てました

という一文も添えられていましたが、告発資料の宛先にあった9社は、これをニュースとして扱いませんでした。

この事件を報じたのは、手紙の送り先に含まれていなかった『北方ジャーナル』、週刊誌『週刊新潮』『週刊朝日』などの雑誌のみです。

2015年当時、「告発資料を送ったどのメディアも取り上げなかったことに、被害者は絶望するだろうな、と思うと、同じ女性として心が痛みます」と同情を寄せた道新の女性記者もいましたが、この事件については、道新内では箝口令がしかれていたかのごとく、女性記者でさえ沈黙を貫いていました。

その一方で、2015年の取材の際に道新女性記者からもれ聞こえてきたのは、「いちいち気にしていたら仕事にならない」「女性の視点で取り組むと、『あいつはうるさい』とはじかれる」との声でした。

Mさんの訴訟が取り下げられた後、道新は女性記者が中心となり、大々的にセクハラの記事を掲載しはじめます。

2020年2月に刊行した『マスコミ・セクハラ白書』でも、道新記者がこの事件について、過去の出来事として書いています(163~164ページ)。

Mさんの和解は、#MeToo 運動の直前であり、道新としては、非常に都合がいいタイミングだったといえます。逆に、Mさんが生きていたら、さぞ悔しかったでしょう。

セクハラ告発者に適切な対応をしたのか?

残念ながら、セクハラの有無については、Mさんが亡くなっており、和解が成立しているため、これ以上追求のしようがありません。

しかし、道新がMさんに適切に対処したのか、疑問が残ります。なぜなら、Mさんが書いたと思われる告発文書では、セクハラ被害にあまり触れず、大部分は、道新の不誠実な対応への痛烈な批判だったからです。

Mさんの民事訴訟の和解条項には、「同社は和解を機にセクハラの防止に一層努力する」が含まれています。

“一層努力”ということは、これまでも“努力”してきたことを意味します。それはどのようなものだったのでしょう?

2015年8月からこの事件を取材してきましたが、Mさんのセクハラ申告については、不適切ではなかったかと疑われる対応が複数みられました。別の項で詳しく書きますが、たとえば、次の点です。

1)謝罪

道新は、セクハラをしたといわれる社員2人がMさんに直接謝罪する場を設け、謝罪文を手渡しています。しかし、民事訴訟で、謝罪はセクハラ行為に対してではなく、「事態収拾」が目的だったと明らかになりました。しかも、社員2人は、不本意ながら、道新の意向に従わざるを得なかっとのことです。

虚偽のセクハラ申告としながら、事態収拾のために謝罪の場を設けるのは適切な対応でしょうか?

2)始末書

民事訴訟の第2回口頭弁論で、社員2人が道新に始末書を提出したことが判明しました。社員2人は、道新担当者から始末書の書き方等を指導され、添削されたと説明しています。不本意ながら、会社の指示を拒否できず、道新の意に沿う内容の始末書になったとのことです。

セクハラをしていないのに、会社の意に沿う内容の始末書を作成させるのは、社員に対する人権侵害にならないのでしょうか?

3)社員とMさんの同席

札幌の本社で2015年3月に開かれる会議に、Mさんは当該社員1人と4時間以上におよぶ会義に出席するよう伝えられました。終了後には懇親会も予定されていました。この通知の数日後、Mさんは亡くなっています。

虚偽のセクハラ申告だとしても、体調不良を訴えるMさんを、セクハラをしたとされる社員と長時間同席させるのは、配慮に欠ける行為ではないでしょうか?

その他、問題と思われるセクハラ対応がいくつかあります。

今回、告発資料の他、本人のスマホに残された動画やラインのメール、民事訴訟の資料、遺族や道新関係者の証言など、証拠となりうる複数の資料から、道新のセクハラ対応をあらためて検証してみることにしました。

Mさんは隅から隅まで読むほどの新聞好きで、道新函館支社の記者コラム『やまがら日記』をファイリングしていたそうです。“正義の味方”と新聞社を理想化して尊敬していただけに、失望も大きかったと思われます。

Mさんは告発文書でこう書いています。

人を人とも思わない。そのくせ、新聞では庶民や弱者の味方のようなふりをする。
道新に不正を追求する報道機関の資格はありません

この指摘は、道新に限ったものではないはずです。

なお、つけ加えておきますが、2015年12月にこの件の記事を掲載した週刊誌『週刊金曜日』と英字紙『The Japan Times』(Sexual harassment at bōnenkai, inept handling, a suicide 忘年会のセクシュアルハラスメントで自殺か)に対し、道新は「厳重に抗議する」と通告し、訂正記事の掲載を求めてきました。記事に「(道新の)社会的評価を著しく下げる記述」や「事実と異なる記述」があるという主張でした。

いずれも、私が執筆した記事です。

この事件については、他誌も掲載していますが、抗議を受けたのは、女性フリーライターの私だけでした。

道新からの抗議の文面は、Mさんに届いた手紙に共通する不気味さがあり、Mさんがなぜ追い詰められたのか、少し理解できるようなものでした。

(2020年7月13日)

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