『週刊金曜日』「『金曜日』で逢いましょう」2015年11月13日号に掲載された記事です。
朝鮮人強制連行と遺骨返還 植民地時代の歴史に向き合う
離散した朝鮮人のポートレート撮影と聞き取りをはじめたのは17年前。個々人の物語を通して植民地時代の真実を伝え、韓国と日本の歴史観をとらえ直す写真家・孫昇賢さんが語る。
韓国に移り住んだ、スパイと呼ばれる北朝鮮出身者を撮影するうちに、日本に戦時動員された朝鮮人労働者に関心を抱くようになった。離散や分裂が強制労働と深く結びついているのを痛感したからだ。
「北朝鮮出身のハラボジ(おじいさん)たちは、日本の植民地時代に家族らと引き裂かれた共通点があり、全員が強制労働の経験者でした。強制連行や強制労働は一人ひとりの物語の一部になっています」
9月11日から10日間、北海道で犠牲になった朝鮮人強制労働者の遺骨返還に同行した。北海道を出発し、本州を縦断して下関から釜山、そしてソウルへと、朝鮮人が連行された3500キロの道のりを、遺骨とともに逆にたどった。
この遺骨返還に合わせ、ソウル図書館で、北海道の強制労働者を紹介する写真展も開催。
「韓国人の大半が、日本での強制労働について知りません。事実を伝えるのが一番の目的ですが、遺骨をきっかけに、韓国人と日本人がどう向き合ったらいいのかを考えてもらいたかったのです」
韓国人の一方的な反日感情は少し違うと感じている。
「日本では1970年代から朝鮮人強制労働者の調査や発掘が草の根で行われてきたと聞きました。この遺骨返還も写真展も、日本側の40年以上にわたる努力がなければ、実現しなかったでしょう」
強制労働は、民族問題にとどまらず、資本主義と欲望の問題でもある。韓国人だけでなく、多くの日本人労働者も犠牲になった。
「そうした事実をとらえ直し、韓国人も歴史観を変える必要があるのではないか、と。今回の遺骨返還で日本人は“謝罪”という言葉を何度も口にしました。そうした日本側の配慮を尊敬します」
70年間も里帰りできなかった犠牲者の運命を想像したら、遺骨返還は喜ばしい。しかし一方で、矛盾に戸惑いもする。
「『亡くなった瞬間、魂は肉体を離れ、遺骨は自由になる』という考えには同感ですが、現実に生きる私たちの状況は非常に複雑で、遺骨が自由になっても、私たちは自由になるどころか、遺骨にどんどん巻き込まれていきます。私たちはこれから、重い責任を引き受けていかなければなりません」
遺骨が祖国に戻った翌日19日未明、日本で安保関連法案が成立した。
「センシティブな問題は、どの国も社会の危機感の度合いに関係している」と冷静にとらえる。
「安保関連法案は、福島原発事故と関連があるのでは? 2年前に大阪に行ったときにヘイトスピーチに出くわし、3.11以降の日本社会は閉塞感に満ちているのを感じました。関東大震災のときもそうでしたが、不安が集団暴動を引き起こします。恐怖心に駆られた人がどう行動するか。歴史が教えてくれるのはないでしょうか」
今最も興味があるのは、祖国に帰った人とそれができなかった人の歩んだ、それぞれの違う人生だ。
「自分の意思でサハリンまで働きに行った場合もあるし、北海道に強制連行されて戻れなかった人もいる。さまざまな物語から歴史をさらに掘り下げたいですね」
ソン・スンヒョン(孫昇賢)
写真家、大韓民国芸術院教授。1971年、釜山出身。ソウル中央大学校大学院で写真を学ぶ。北米の先住民族の写真集『The Circle Never Ends』刊行。