スコッチウイスキーの聖地「スペイサイド地方」を行く

『VISA』1994年9月号に掲載された記事です。

スコットランド。雄大な自然に囲まれたこの地は、長い歴史を通してさまざまなものを生み出してきた。

世界中で愛飲されているウイスキーも、豊かな大地とここに暮らす素朴で温かい人々が生み出した究極の一品である。数百年もの間、伝統の味を受け継いできたスコッチ・ウイスキー。その魅力を探る鍵は、豊かな自然とスコットランド人気質にあるといえよう。

スコッチ・ウイスキーには、モルト・ウイスキーと、主にブレンド用に使用されるグレーン・ウイスキーの2種類がある。地理的条件に左右されにくいグレーン・ウイスキーと違い、モルト・ウイスキーの風味は、風土、蒸留所によりそれぞれ異なる。そして、ひとつの蒸留所が、発芽した大麦を使って、スコットランド内で造ったモルト・ウイスキーだけが、シングル・モルト・スコッチの名を冠せられる。

スコットランドには、100か所以上の蒸留所がある。ワイン同様、モルト・ウイスキーも産地によって特徴があり、スコットランドでは、南部のローランド、北部のハイランド、西部の島アイレイ、そしてスペイ川流域のスペイサイドと大きく4つに分けられる。なかでも、「この土地を語らずしてスコッチ・ウイスキーは知りえない」といわれるのが、50か所ほどの蒸留所が存在するスペイサイドだ。

スコットランドで「スランジーバ(乾杯)・パブ!」
『VISA』1994年9月号に掲載された記事です。 英国人ほどパブ好きの国民はいまい。ロンドンだけでも実に8000軒以上のパブがある。彼らにとってパブは、酒を飲む場であり、また社交場である。仕事帰り、夕飯の後、彼らはグラスを片...

ロンドンから飛行機で北へ約1時間半。ネス湖で知られるインバネスからさらに東へ1時間ほど車を走らせたところに、清らかなスペイ川が流れるウイスキーの聖地「スペイサイド地方」がある。ここには、ウイスキー造りに欠かせないすべての条件が備わっている。

モルト・ウイスキー造りにもっとも重要な要素となるのが水。スペイ川に流れおちる峡谷の湧水は、ウイスキー造りに最適な良質の軟水である。またウイスキーの風味に大きな影響を与えるのが、発芽した大麦を乾燥させるための燃料、ピート(泥炭)。スペイサイドは、雑草やヒースの根などの堆積したピートが豊富に採掘される地方でもある。さらにこの地は熟成に適した気候であり、こうしたさまざまな自然条件が整ってはじめて、スペイサイドのモルト・ウイスキーが産声をあげる。

幾重にも重なる丘には、独特の煙突をもつ蒸留所が点在し、発行時の甘い香りが漂っている。この地方は蒸留所だけでなく、蒸留に使われるポットスティル、熟成のための樽を製造する工場も点在する。人口の半分以上が、なんらかの形でウイスキー造りにかかわっているといっていい。

ウイスキーの蒸留法は、キリスト教の宣教師たちによってスコットランドに伝わったといわれるが、一方では、北部ハイランド地方の農民が、あまった大麦を利用して造りはじめたともいわれている。

ウイスキーはハイランド地方で用いられていたゲール語「ウースカ・ベーハ」または「ウスケボー」、つまり「生命の水」と呼ばれていた。厳しい寒さから身を守り、労働への活力を得るために、ハイランドの農民たちは琥珀色の“生命の水”を飲み続けてきたのである。

16~17世紀には蒸留技術が進歩し、ウイスキーは急速に人々の間に広がる。この人気に目をつけたスコットランド議会は、1644年、ウイスキーへの課税制度を導入する。さらに1707年には、イングランド・スコットランド連合議会も増税に加わり、重税から逃れようと密造が横行しはじめる。約150年ほどこうした混乱は続くが、1823年のライセンス制度によって一応の決着をみる。

翌年、グレンリベット蒸留所が、公認蒸留所第1号としてウイスキー製造を開始。グレンリベットは、ジョージ・スミスが1719年に創立した蒸留所である。条例制定までは、他の蒸留所同様に、違法蒸留酒を密造していたが、先見の明のあったスミスが、いち早くライセンスを入手し、スペイサイド地方で事業を拡大していった。だが一方で、密造仲間からは裏切り者呼ばわりされ、放火などの嫌がらせが絶えなかったという。しかし、ウイスキー事業適正化をめざすスミスの毅然とした態度は、グレンリベットを守り、さらに業界全体をも大きく変えていったのである。

以後、蒸留所は代々彼の子孫に受け継がれ、ここで製造されるモルト・ウイスキーの代名詞ともいえる地位を確立する。

モルト・ウイスキー造りは、モルティング(麦芽製造)、マッシング(糖化)、発酵、蒸留の4段階に分かれる。近代化されたとはいえ、その手法は昔も今も変わらない。

まず水に浸して発芽した大麦を、ピートを使って薫製乾燥させる。このピートが、ウイスキーに独特のスモーキー・フレーバーを与える。次にその大麦を粉状に砕き、マッシュ・タンという大型円形容器に入れ、お湯と混合させる。ウォート(麦汁)と呼ばれる糖化液に変化させるのである。さらに、液体だけを取り出し冷却、イースト菌によって発酵させ、低濃度のアルコール分を含むウォッシュ(発酵液)を生成する。これを、銅製のポットスティルで2回蒸留し、高濃度のアルコール液を造りだす。1回目の蒸留で不純物を取り除かれた蒸留液(ローワイン)は、2回目の蒸留器へ。ここで流れ出る液体(スピリッツ)のうち、最初(ヘッド)と最後(テール)は再び1回目の蒸留器に戻され、中間(ハート)の高品質な部分だけを採取し、樽詰めする。

グレンリベットの蒸留所内は整然としており、24時間のシフト制で、製造を管理する従業員はわずか二人。複雑な製造はすべてコンピュータで管理するなど、近代化が進んでいる。だが、グレンリベットの味と風味は昔となんら変わることがない。

グレンリベットから車で15分ほど行くと、グレンフィディック蒸留所にたどり着く。ウイリアム・グランドが1887年のクリスマスに創設以来、5代にわたってトラディショナルな手法をかたくなに守り続けている、スペイサイドを代表する蒸留所である。

広大な敷地内にある酒造所は、熱気と発酵の香りが充満している。ステンレス製マッシュ・タンを導入する蒸留所が増えているなかで、グレンフィディックだけが、今なお昔ながらのアメリカ松の一種である木材を使った容器を使用している。また、ここのポットスティルは、100年前から同じ形、同じ大きさのものを使い続けている。たとえウイスキーの需要が増えても、味が変わらないよう、今後も変更の予定はないという。

グレンフィディックのもうひとつの特徴は、独自のビン詰工場をもっていること。スコットランドのなかでも、ビン詰まで行う蒸留所はわずか2か所だけ。世界でもっとも人気の高いモルト・ウイスキー「グレンフィディック」は、こうしたていねいな工程を経て、作られている。

以前、スペイサイド地方の蒸留所は、原料の大麦を発芽させるモルティングと呼ばれる作業は、それぞれの所内で行っていた。だが現在では、外部の専門業者に任せている蒸留所がほとんどである。そんななかで、独自のモルティング・ルームを備えているのがタムデュー蒸留所。1897年の創業当時は、すべて手動によるモルティング作業だったが、40年ほど前に機械制御へと移行した。

モルティングは、まず収穫した大麦を水槽のなかで2、3日水に浸す。それを長方形の箱に広げ、発芽を促す。発芽に要する期間は、季節や大麦の種類によって異なるため、モルティング職人は、つねに発芽状態を見守り続けなければならない。良質な水を十分に含んだ大麦から短い糸状の芽が出ると、糖化する準備が完了する。

次に、大麦は麦芽乾燥室へと運び込まれ、ピートを炊いて乾燥させる。乾燥室のなかはまるでサウナのようだ。モルティングされた大麦は、サナギが蝶へと変わるかのように、風味豊かなウイスキーへと育まれていく。

タムデュー蒸留所で生産されるモルト・ウイスキーの95%はブレンド用に使用されている。人気のフェイマス・グラウスやJ&B、カティサークといったブレンド・ウイスキーがここから生まれ、世界中の左党を歓喜させる。

1860年代初頭に起こったブレンディング技術の開発は、ウイスキー産業の画期的な進展を促すきっかけとなった。個性の強すぎるモルト・ウイスキーを混合することで、マイルドな風味のウイスキーが誕生した。このブレンド・ウイスキーのテイストは、イギリスの都市生活者に好まれ、やがて全世界へと広がっていく。これにより良質のモルト・ウイスキーの需要が高まり、やがてスペイサイド一帯が“ウイスキーの聖地”へと変貌を遂げるのである。

ブレンド用モルト・ウイスキーの名声に加え、“シングル・モルトのロールス・ロイス”と呼ばれるモルト・ウイスキーを製造しているのが、かのマッカラン蒸留所である。

16世紀ころ、農家が細々と始めた蒸留所だったが、1824年にライセンスを取得し、スコットランドで2番目の公認蒸留所となった。1892年に現オーナーの祖先の手に渡るが、大手資本に頼らず、独立経営のためリスクも大きいという。だが決して時代に流されることなく、代々受け継がれてきた製造法にこだわり続けている。この“こだわり”をもっとも感じさせるのが熟成方法である。

一般に、蒸留を終えたスピリッツは、バーボン用もしくはシェリー酒用としてすでに使用されたオーク材の樽に詰められる。樽にしみこんだそれぞれの酒が、透明なスピリッツに美しい黄金色とドライな風味を与えてくれるからだ。だがマッカラン蒸留所の場合は、単にオーク材というのではなく、スペイン産のオーク材に限定し、さらにスペインのシェリー酒オロロッソを3年間熟成させた樽のみを用いる。そうしたこだわりこそが、マッカランの名を一躍世界的にしたといえよう。

スコットランドのウイスキー造りを支える名人たち
昔ながらのウイスキーの製法をかたくなまでに守り続け、琥珀色に輝く生命の水を生み出してきたのは、スペイサイドの自然を尊び、スコッチウイスキーをこよなく愛するスコットランドの男たち。ウイスキー造りは繊細で、職人たちの熟練した腕なくしては成立しない。

樽詰めしたスピリッツは最低3年、普通5年以上じっくり倉庫で熟成させる。そうすることにより、“シングル・モルトのロールス・ロイス”と謳われるマッカランならではの芳醇な香りのシングル・モルトが生まれる。

マッカラン蒸留所には、昔ながらの倉庫のほか、ヨーロッパ随一の規模を誇る近代的な倉庫を備えている。面積1万4000㎡の巨大倉庫は、昔の倉庫内と条件を同じくするため、丘を切り開いて建設された。人工的な細工はいっさいなされておらず、室温は常に8~11℃に保たれている。なかにはうっすら苔が生える程度の湿気があり、薄暗くひんやりしている。

うずたかく積み上げられた樽からは、樽開けを待つ琥珀色の液体の静かな寝息が聞こえていた。

19世紀を代表するスコッチ・ウイスキーといえるのが「グレンリベット」。当時の文化人たちを魅了してやまなかった珠玉のウイスキーである。

スコットランドの詩人ウォルター・スコッツはその熱狂的なファンの一人であり、スコッツいわく、「グレンリベットは午前中に紳士が飲むにふさわしい酒であり、フレーバーはフランスのワインに匹敵するすばらしさ。そのうえ、心身に活力を与えるのにもっとも適した飲み物である」という惚れ込みようだった。

また、文豪チャールズ・ディケンズは1852年に友人に送った手紙のなかで、グレンリベットについて、「その味のよさは他に類をみない」とまで言い切っている。

グレンリベットのなかでも特に「21年もの」は芳醇な香りと洗練された味わいで、いつの時代も高い人気を誇る逸品といえる。

1926年樽詰めの「マッカラン60年」は、かなり珍しいモルト・ウイスキーといえよう。というのも、常識的にいって25年以上熟成された酒が市場で販売されることはまれである。ましてや半世紀以上となるとほとんどコレクション、つまり観賞用にすぎない。だがマッカランの60年ものはそれだけの年月を経た今も、十分に味を楽しむことができるモルト・ウイスキーなのである。

またこの60年ものは、有名アーティストがラベルを描くことでも知られている。第1回目の販売は1987年だったが、そのときのラベルはビートルズの「サージェントペッパー」のカバーを手がけたピーター・ブレイクだった。2回目は世界的に著名なイタリアのモダン・アーティストであるバレリオ・アダミの作品がボトルを飾った。

60年ものは34本あるが、前回12本、今回12本がすでに売り出されており、残り10本も近々販売されるという。販売といっても、マッカランはこの60年ものに価格をつけていない。希望者は、使用目的と支払可能金額を書いた手紙を蒸留所あてに送らなければならないのだ。蒸留所によれば、金額より、使用目的を重視して審査するのだという。ちなみに1回目のボトルの最高価格は5500ポンド(約88万円)、今回はスコットランドのビジネスマンからすでに15000ポンド(約240万円)の申し込みが届いている。

60年ものは、まさにマッカランならではなおこだわりとチャレンジ・スピリッツが生んだ、伝統の逸品といえるだろう。

スコッチ・ウイスキーの蒸留所のなかで、もっとも北に位置するのがハイランド・パーク蒸留所。オークニー島で製造されるモルト・ウイスキーの「ハイランド・パーク12年」は、典型的なモルト・ウイスキーの代表としていまもトップの座を守り続けている。

洗練されたソフトな舌触りと風味が特徴のスペイサイド産ウイスキーと違い、ハイランド・パークはかなり個性的。シングル・モルト・ウイスキーにもかかわらず、さまざまな味が複雑に混ざり合い、コクのあるうまみを醸しだす。その理由のひとつは、製造時に使用されるピートにある。ここで採掘されるピートには、海洋物とヒースの根が堆積しており、これがハチミツに似た、甘い独特のスモーク臭を生み出すのである。さらに、海からの風が成熟期になんらかの影響を与えるともいわれている。

これまで多くの蒸留所が、この味をまねようとチャレンジしてきたが、すべて徒労に終わっている。

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