『ビッグイシュー日本版』2012年10月15日に掲載された記事です。
朝9時を少し回った伊那小学校。授業中のはずなのに、廊下には子どもたちの元気な声が響いている。
「子どもたちは大騒ぎしてますけど…」と本多俊夫校長は苦笑し、こう続けた。「ここでは『静かにしろ』など一切言いません」
伊那市立伊那小学校には、チャイムがなく、通信簿がなく、固定化された時間割もない。公立でありながら、30年以上も総合学習・総合活動に多くの時間を割いてきた小学校だ。
本多校長が昨年4月に赴任したときの第一印象は、「『はじめに子どもありき』を地で行っている学校。口だけでなく、本当に実践している」だった。では、この学校が大切にしている「内から育つ」とは、どういう授業なのだろう?
この日、3年夏組の子どもたちは、妊娠したブタ“さなちゃん”のエコー写真を見ていた。「子ブタさんがどこにいるか、赤ペンで丸をつけてみよう」と中村琢磨教諭。子どもたちは「耳みたいのがあった」「ブタさんっぽい形になってる~」と思い思いの言葉を発し、周囲の子と見せ合いながら、エコー写真に丸をつけていく。
さなちゃんは、夏組の子どもたちが1年生のときに飼育をはじめたブタだ。昨年9月に出産し、子どもたちは9頭の子ブタを育てたが、話し合いの末、今年5月に子ブタを出荷。その後、さなちゃんにもう一度子ブタを産んでもらおうということになった。文字通り、生命の誕生から、動物を育てる大変さ、自分たちが普段食べている物まで、総合的に学んでいく。出荷の前には、子どもたち同士で何度も議論を重ね、地元の養豚場の方の話を聞いた。
「子どもたち自身が問題を解決していけるように授業を進めますが、反省することもあります」と中村教諭。「自分の中で『出荷の理由』を決めつけてしまい、そこにつなげようとしたんです。でも、子どもたちが思ってもないことを学習させようとしても、生き生きとかかわってこないんですよね。最終的に子どもたちが『出荷の理由はいろいろあっていいんだよ』と言いだし、『あ、そうか』と逆に教えられました」
中村教諭は新任教師として、4年前に伊那小にやってきた。授業の組み立ては先輩の教員に相談したり、教えてもらったりする。「授業は大変ですが、子どもたちと一緒に私も学び、それがすごく楽しいからがんばることができる、という気がしますね。私自身は小学校の思い出がほとんどないんですが、ここの子どもたちは、1年や2年のときの話してくれます。それだけ充実した学校生活が送れているんでしょうね」
風力発電所を見学、風車づくりは専門家のアドバイス
6年勇組は、風力発電に挑戦していた。授業を行う場所は、教室ではなく、渡り廊下。教室で机に向かい、静かに授業を受けるイメージとはまったくかけはなれた風景がそこにあった。「学ぶ材料は外に山積みされているから、雨が降っていないときは屋外に出なさい」。これがこの学校のモットーでもある。
渡り廊下の“アトリエ”では、子どもたちが4~5人のグループに分かれ、それぞれ形も大きさも違う風車作りに取り組んでいた。
糸のこぎりで羽の部分を切ったり、設計図とにらめっこしたり、隣のグループの様子をうかがったり。とにかく、子どもたちは動き回り、しゃべりつづけている。小学校6年生といえどもあなどるなかれ。専門用語が飛び交い、風車を見つめるまなざしはプロっぽい。
「ベアリングや風受けの面積がどうとか、そういう話が通じる小学生はいない、と言われました」と星野忠祐教諭は笑う。
このクラスは4年の5月にかざぐるまを作り、9月ごろから「風車」をめざしはじめた。伊那市近辺には風力発電所がない。そこで、臨海学習で渥美半島の風力発電所を見学。修学旅行では三菱重工横浜製作所を訪ねた。伊那小の修学旅行の2日目は、それぞれが総合学習に結びつく見学場所に行くのが恒例。子どもたちは自分たちの風車を持参し、専門家のアドバイスを受けた。
「全部で8チームあるけど、競争はしてません。競争目的でやるとあれなんで……。ゴールはイルミネーションとおでん!」と男子児童。
星野教諭は「3.11が起こり、原発事故がニュースになり、風力発電が注目を浴びてきました。子どもたちも、『すごいことやってる』という気持ちが自然に出てきましたね」
電圧を測っていた子どもたちは、「針が動かない」と困り顔。「理科の教科書に載ってただろう」と星野教諭に言われ、ひとりがものすごい勢いで走って教科書を取りにいった。
「教科学習も意識します。文科省が定めた学習内容に取り組まず、卒業させるわけにはいかないので。でも、総合学習の発展として扱うことにより、子どもの意識も違ってくる。今は算数の『拡大・縮小』を取り入れて、子どもたちは風車の1/5や1/10の縮図を描いてます」
禁止された網漁、漁業協同組合と交渉、許可をとる
このように、伊那小学校では30年以上もの間、牛や羊、ニワトリといった動物の飼育から、森や川などの自然とかかわる学習、クッキー作り、織物や焼き物まで、多様な総合学習を行ってきた。
たとえば、市内を流れる天竜川に親しんでいる子どもたちは、「魚をとりたい」と活動を開始。郷土資料館で「四つ手網」という方法を発見するが、天竜川では網漁が禁止されている。教師の心配をよそに、子どもたち自ら「天竜川漁業協同組合にお願いしよう」と提案し、交渉して許可をもらう。
また、平均寿命を越す学校の桜を守るために、桜守の活動をはじめた学年もあった。桜の病気をインターネットや本で調べ、桜で有名な高遠町の桜守の方に相談し、治療をはじめ、健康状態を観察した。桜の木に釘が打たれているのを知り、「痛いと思う」と釘を抜く作業もつづけた。こうした専門性の高い活動が評価され、伊那市長谷の美和ダムの「美和ダム桜守」として、ダムを管理する国土交通省からも任命された。
しかし、伊那小学校を卒業すると、中学では教科学習が待っている。子どもたちに戸惑いはないのだろうか?
卒業生へのアンケート調査では、「進学には直接役立たなかったが、やりとげる力は身についたと思う」「大学のときは小学校時代の知識に偏りがあるかな、と振り返ることもあったが、社会人になり、課題解決する能力がついているのは総合学習のおかげだと感じている」といった感想が述べられている。また伊那小の教師たちは、30年以上にわたって総合学習を続けてこられた理由は、授業を通した地域とのつながり、そこから生まれる地元の人々の理解や評価があったからだと話す。
福田弘彦教頭は次のように語った。
「保護者から心配の声がないわけではないのですが、本校では困難に遭遇したときにどうするかなど、人として生きていくうえで大切なものを学んでほしいと思っています。進学や転校をしても、ここで学んだことを生かすことができる。なぜなら子どもたちは『生きる力』を身につけているからです」
風車づくりの手を休めずに、子どもは答えた。「忙しいです。でも、学校は楽しいです!」