東日本大震災後の地域医療の現状将来を予測して

『月刊自治研』2014年7月号に掲載された記事です。

手探りで進める地域医療の復活

東日本大震災から三年以上が経過した。しかし、津波の被害が大きかった石巻市や気仙沼市などの沿岸部を中心に、宮城県ではいっこうに復興が進んでいない。県の資料によると、二〇一四年二月現在の全医療機関の再開割合は、旧石巻医療圏で八九.四%、旧気仙沼医療圏で七二.三%にとどまっている。

これまで目指してきた地域医療とは程遠い、まっさらな状態からのスタートを余儀なくされた宮城県。「自分たちの生活でいっぱいいっぱい」のなか、現場では、手探りで地域医療の復活を進めている。

多くの課題を抱えている一方で、宮城県は昨年度から二次医療圏を再編し、今年度は医学部新設に名乗りを上げた。この方策は地域医療の充実につながるのだろうか。

宮城県の地域医療のゆくえについて、自治労宮城県本部衛生医療評議会二〇一四年度第三回幹事会でお話をうかがった。

震災の爪痕が残るなかでの医療圏再編
統廃合で懸念される地域医療の弊害

宮城県は二〇一三年四月に、二次医療圏をこれまでの七カ所から四カ所に再編した。二次医療圏の再編は国の方針でもあるが、厚生労働省は東日本大震災の影響を考慮し、「岩手、宮城、福島の被災三県は見直しの対象外」としていた。しかし、宮城県はあえて医療圏の再編を断行した。

宮城県の二次医療圏はそれまで、仙南、仙台、大崎、栗原、登米、石巻、気仙沼の七か所だったが、仙南と仙台以外の五か所を、「大崎・栗原」「登米・石巻・気仙沼」の組み合わせで二か所に合併した。

これら新しくなった医療圏には、東日本大震災で莫大な被害を受けた沿岸部が含まれる。公共交通機関などのインフラ整備が遅れるなかでの再編だけに、各地で混乱がみられる。

「大崎・栗原」と「登米・石巻・気仙沼」では、再編後の基幹病院はそれぞれ大崎市民病院と石巻赤十字病院に位置づけられた。どちらも仙台からは高速道路で三〇分の範囲だ。しかし、医療圏の発端にある栗原市や気仙沼市から基幹病院までは、車を飛ばしても一時間以上かかる。再編が患者の利便性を後退させ、医療過疎を進行させるのではないか――関係者の不安は根強い。

「仙台に居を構える医師への配慮があったのかもしれません。とはいえ、ずいぶん乱暴な線引だ」と、仙台市立病院・労組委員長の瀬戸弘さんは憤る。二次医療圏を見直しにあたっては、「基幹病院までのアクセス時間等も考慮する」旨が国から示されたにもかかわらず、状況は明らかに矛盾している。

宮城県の主な公共交通機関は県を縦断する東北本線で、在来線はきわめて少なく、仙石線などの路線は復旧していない。

たとえば、登米市の住民が石巻市の病院に行こうとすると、通院には、自家用車か一日数本運行のバス、もしくはタクシーを利用せざるをえない。車を運転できない人もいるが、大都会とは違って交通機関が網の目のようにはりめぐらされているわけでもない。「車で三〇分」はタクシー代なら片道六〇〇〇円、往復一二〇〇〇円はかかり、それを年金から払うことになる。

地方独立行政法人宮城県立病院機構宮城県立循環器・呼吸器病センターの小野清美さん(評議会副議長)は、帰宅を気にする患者家族についてこう話す。「奥さんの心配はバスの時間だけ。入院する旦那さんの病状の説明より、自分は『帰らなくっちゃ』と。何回もバス停まで行って、時間を確認するんです」

「震災で地域医療が崩壊したにもかかわらず、医療費抑制という施策をここでも全面的に適用している」 そう批判するのは、大崎市民病院の津田志朗巳さん(評議会議長)だ。住民の生活環境や公共交通機関の状況などは軽視し、合理的にはじきだされた数字と地図だけで線を引く。「健康保険をおさめているのに、いざ使おうとしたときに、近くに病院がない。採算性議論だけでは、本当に役に立つ地域医療など不可能ではないか」と津田さん。

医学部新設に揺れる栗原市
地域医療に還元されるのかに疑問の声

再編された二次医療圏は、栗原市や登米市など県北の切り捨てともみてとれる。医療圏再編を主導したのは、県内に唯一医学部をもつ東北大学。「栗原市の医学部新設」にいたった背景には、医療圏再編への不満があるのではないか。こうした声も聞こえてくる。

医学部新設は約四〇年間抑制されてきたが、震災からの復興、超高齢化と東北地方における医師不足、原子力事故からの再生を踏まえ、東北地方に一校だけ許可されることになった。

文部科学省は二〇一三年十一月、「東北地方における医学部設置許可に関する基本方針について」を発表。同年一二月に「東北地方における復興のための医学部新設の特例措置」が閣議決定された。

宮城県知事は、復興のシンボル的な意味もあり、医学部新設にはもろ手を上げて協力していく意向を示し、県は二〇一四年四月に医学部設置推進室を設置した。

医学部設置応募は五月三〇日に締め切られ、三件の応募があった。ひとつは福島県郡山市からで、宮城県からは東北薬科大学と宮城県。

県は栗原市に県立医学部を設置する構想を提示した。「県立による医学部新設について」によると、二〇一六年四月に入学数六〇人(定員三六〇人)での開校を予定。大学附属病院は、市立栗原中央病院を中核施設として活用し、必要とされる六〇〇病床数を確保。新校舎は、市立栗原中央病院の近接地に整備するという。

栗原市は核廃棄物最終処分場施設の候補地にもあがっている。福島第一原発事故後の二〇一一年七月、栗原市や登米市の稲わらが放射能で汚染されているのが発覚。これら汚染稲わらは、市内に保管されたままだ。それに輪をかけて、栗原市の深山嶽のふもとを最終処分場施設する計画が持ち上がった。

「医学部設置には栗原市も財政負担しなければならないだろう。最終処分場施設をここに造れば、交付金を回すことができる。医療過疎地域が一転した、というモデルケースにしようとしているのでは…」との憶測も飛ぶ。

新設される医学部が地域に還元されるのであれば、大歓迎である。しかし、医学部は教育機関にすぎない。医者不足で困窮している地域に医学部を設置しても、医者をすぐ補うことはできず、何の解決にもならない。「医学部が新設されれば、医者は豊富にそろうし、患者をどんどん診てもらえる。自治体はそう勘違いしているのではないか」 現場では懸念が広がっている。

栗原中央病院は救急体制をとっているが、大崎や仙台ほど整っていない。そうした病院が大学病院になって、何を提供するのか? 栗原市で今求められているのは、紹介状なしで診てくれる病院だ。栗原市の開業医のほとんどが病床を持っていない。風邪ひいたときに気軽に開業医に診てもらえる環境こそ、高齢者は必要としている。

また、県立循環器・呼吸器病センターが廃止となれば、県内唯一の結核病棟の存続が危ぶまれる。瀬戸さんは、「結核患者が少ないから結核病棟はいらない、という話にはならない。火事が起きないから消防署はいらない、犯罪が少ないから警察はいらない、というのと同じこと。株式会社の病院が存在しないのは、対価ベースとは別の要素が病院にはあるから。そこを認識してもらわなければならない。消防や警察ではそういう議論をしないのに、矛盾している」と憤る。

遅れる医療施設の再建
復興の足を引っ張る復興補助金

全国的に共通している課題だが、宮城県でも「病院は存在するが、地域に受け入れられていない」状況にあった。小野さんは、大崎市の整形外科診療所に勤務していた経験があり、「交通事故に遭うと、開業医の整形外科に来る。十数年前は、そのくらい市立病院は機能していませんでした。(交通事故でも)診てくれるようになったのは、救急医療体制整備のための補助金が入ってからです」ともらす。

皮肉なことに、東日本大震災は、公立病院の重要性を再確認する機会ともなった。気仙沼市立病院は、震災をきっかけに地元から存続を望む声が上がったという。

しかし、築四九年の老朽化した気仙沼市立病院の移転新築はいっこうに進展していない。気仙沼市立気仙沼病院の看護師・前田千明さんは、その状況を次のように説明する。「デザインだけはこだわり、上空から見て、翼を広げたカモメの形なのですが、間取りも導線も悪い。エレベーターは人工呼吸器や循環装置をつけて入るには狭すぎる。今の市立病院は六床部屋もありますが、新病院はさすがに四床部屋。とはいえ、いろいろな機械を入れると、それでもけっこうきついんです。せっかく新築するのだから、『このベッドが空いているから、この患者さんをここに入れよう』ではなく、きちんと計画的にやらないと。でなければ、患者さんも安心した病床生活を送れません。そう言ってはいるんですけれど……」

石巻市は、津波で被災した石巻市立病院をJR石巻駅前へ移転再建する。しかし、六月八日付の河北新報によると、「再建費が当初の二倍に膨らみ、開院までのスケジュールに暗雲がたちこめている」という。東京オリンピック開催が決まり、資材や人材が首都圏に流れ、宮城県の建設費は三割増に跳ね上がっているそうだ。

石巻市産業部水産課・石巻市水産物地方卸売市場管理事務所副所長の齊藤俊和さんは、「震災補助金が復興の足を引っ張っている」と指摘する。「補助金で建てたものは、最低五年使わなければならない。たとえば、震災復興補助で建てたテントを三年で撤去するのであれば、返金を求められます」 急ピッチで復興が進んでいる石巻市では、復興補助金がかえってネックになっているという。

復興のための補助金は、震災前の状態に戻すのが前提に交付される。一〇年前の建物は、一〇年前の通りに造り直さなければならない。「遺跡の復元」と揶揄されるように、石巻市の街路灯は震災前とまったく同じ形によみがえった。ひとつ違うのは、LDTに変わったことだ。

「石巻市では被災者に補助金が支給されますが、住んではいけない地域に同じ建物を建てなさい、と言われる。それでは困るだけです」と齊藤さん。

使途を指定されるため、震災の被害の実情にあわせた立て直しができない。非常に使い勝手が悪い〝ヒモつけ補助金〟と復興補助金はすこぶる評判が悪い。

医療施設の再建に関しても同様だ。地域医療を本来供給されるべき地域住民がそこにはいないにもかかわらず、前と同じ施設でなければ補助金が出ない。結局、国の制度でガチガチにされ、再建ができないでいるのが現状だ。

復興を仮定して地域医療を組み立てる
再編はできても再建にはほど遠い現実

「病院を作ったところで、復興が遅くなれば、それだけ町に戻って来る確率は少なくなります。子どもは町の思い出が多くないので、戻る可能性も低いですよね」と前田さんはつぶやく。職員や住民が思った通りに戻ってこないかもしれない、という仮定のもと、「将来こうなるであろう」と想定し、病院をつづけていく以外ないのだ。

石巻市では、鉄道が不通になり、通勤時間が読めなくなったため、高齢の親を残して仙台近辺に引っ越しした若夫婦が多い。南三陸辺りの沿岸部では、津波の被害を受けなかった山間部に比較的若い人たちの新しい建物があり、そこを起点に町が残っている。その一方で、登米市などの仮設住宅に高齢者を含む世帯が流れ込んだ。家族を亡くした人や、地域や家族との関係も希薄な状態の人たちも多く、その高齢者たちが、本当に南三陸に帰るのかは疑問だ。

仮設で生活する人たちは、栗原や登米周辺の病院を利用し、重症になると、大崎や仙台の病院まで行くことになる。しかし、彼らをサポートできる人がいない。登米市の仮設住宅から仙台や大崎に通う交通手段は限られているため、認知症の疑いがある患者が運転することも珍しくなく、高齢者の交通事故死は増えているそうだ。

今後さらに介護の課題が深刻化する。仮設に住む人たちの高齢化に備えた体制は手つかずのまま。仮設住宅はあくまでも仮設で、退去を前提にしているからだ。宮城県ではすでに一万人近くが高齢者施設の入所を待機中だという。

マスコミは「仮設住宅は寒い」と伝えるが、寒い理由は、将来の計画が立てられず、受け取ったお金を暖房に使えないからだという。「多くの人は、仮設住宅に感謝しています。でも、何年この生活がつづくのかわからないから、寒いんですよ。個人の住宅再建にも財政支援をするべきです。平常時の補助金のルールを、この震災でも通そうとするから、現場は非常に困窮するのです」と津田さん。

暖房費だけではない。受診料を節約して、病院に行かない人もいる。病状が悪化して手遅れになり、入院するケースもあるそうだ。

「どこまで走っていいのかわからない」「必ずゴールにたどり着く、という実例がなく、明日をもわからない」 こうした切羽詰った状況は、自治体職員の一五%がうつ病という深刻な事態を引き起こしている。さらに、自死も増加の傾向にある。自治体だけでなく、社会全体に、不眠症や不安症で悩んでいる人はかなり多く、震災により精神的なダメージを受けている人は相当数いるとみられる。

瀬戸さんは、「再編は、データを集めて、机上でやればいい。ですが、再建となると、その場で汗水流さなければならない。再編はできても、再建については、いろいろな制度や人材がからみ、なかなか思ったようにはなっていないのが実情です」と嘆く。

再建は、地域やコミュニティとともに進めていくべき課題である。医療圏は再編されても、住民に医療を提供するためのインフラ整備が追いつかず、地域医療の再建はまだまだ遠い。それが現場の実感のようだ。

 

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