再審開始の期待かかる第2次再審請求の特別抗告審
警察の捜査や検察の立証に潜む多くの疑問から浮かぶ20年前の事実
20年前、「恵庭OL殺人」と騒がれた事件がある。
動機とされた経緯やOLといった呼称など、女性蔑視的視点に貫かれた
警察、裁判所、マスコミの姿勢に、犯人視された女性はいまも苦しんでいる。
北海道恵庭市で若い女性の炭化した焼死体が発見され、「三角関係のもつれ」による殺害と全国的にもマスコミを騒がせた恵庭殺人事件。事件から20年経った現在、無実を訴えつづけるNさん(記事は実名)の特別抗告審が争われている。
第2次再審請求の即時抗告が審理不尽のまま突然棄却されたのは、2018年8月27日。彼女が16年の刑期を終えて出所した2週間後のことだった。同年9月に最高裁判所に特別抗告を申し立て、今年3月に最後の補充書を提出したが、7か月以上経った今もまだ決定が出ていない。
事件当初から事件にかかわっている伊東秀子弁護士は、「これまでの再審請求審決定は、科学を無視し、裁判官の『抽象的な可能性』で事実認定して棄却した。今回は補充書を10通提出し、見込み捜査やアリバイ隠しなどこの事件の問題点を徹底的に批判している。最高裁もやすやすと判断できないのでは」と時間がかかっていることに、再審開始の期待をのぞかせる。
状況証拠のみで有罪
恵庭殺人事件は、犯行を推認できる間接事実を証明するための状況証拠のみで有罪を認定したのが特徴だ。
2000年3月17日朝、北海道恵庭市の農道で千歳市内に勤務する女性(当時24)の焼損死体が見つかった。被害者の携帯電話にNさんからの多数回の着信履歴があったのを知り、警察は早々に同僚のNさんに目星をつける。Nさんの交際相手が被害者に心変わりしたため、女の嫉妬が犯罪動機とみたのだ。
4月14日から“任意同行”の名目で取り調べを行うが、Nさんは一貫して犯行を否認しつづけた。警察の恫喝的な自白強要に、Nさんは1ヶ月近く精神神経科に入院したほどである。そして、退院した翌日の5月23日に逮捕。殺人・死体損壊の罪で起訴された。
確定判決によれば、3月16日夜にNさんの車内において、後部座席からタオルか何かを用いて絞殺し、午後11時5分ごろ死体に10リットルの灯油をかけて火を放って死体を損壊したとされる。
しかし、Nさんと犯罪を結び付ける直接証拠は一切ない。焼損現場には死体を引きずった跡や犯人の足跡などは残っていなかった。車内での犯行にもかかわらず、被害者の失禁といった痕跡や血痕、指紋も毛髪も検出されていない。使用された油類も定かではない。
状況証拠は、①事件後に被害者使用ロッカーから被害者の携帯電話が発見され、②警察の捜査によれば被害者のロッカーキーがNさんの車のグローブボックスから出てきたとされ、③事件前夜に灯油を購入し、④取り調べ開始後にNさん宅から3.6キロメートル離れた森から被害者の遺品残焼物が発見された、などで、Nさん以外の“誰か”が犯人であっても当てはまる。
検察が時刻を捏造
検察が有罪を立証するためには、脆弱な状況証拠を補強する“小細工”が必要だった。そのひとつが、Nさんのアリバイを崩す捏造だ。遺体に火をつけた時刻を“ごまかし”たのである。
警察は事件翌日、「午後11時15分に大きな炎を見た」という目撃者の証言を得るが、4月に、Nさんが事件の夜に現場から約15キロ離れたガソリンスタンドで給油していたのを示す伝票を押収。そこに記載された時刻は午後11時36分だった。その10日後、Nさんの姿を映した店内の防犯カメラのビデオテープを押収し、正確な時刻は「午後11時30分43秒」だと知る。
焼損現場からガソリンスタンドまでは、雪道ということもあり、制限速度で走行しても23~25分かかる。当然、「午後11時15分」の炎は都合が悪い。
そこで、第一審で検察側はビデオテープを隠し、目撃者の証言を誘導して微妙に異なる時刻を供述させた。炎が目撃されたのは1回のみで、「11時5分頃に着火」と認定された。
ビデオテープの存在が発覚し、弁護側は、控訴審でアリバイの成立を主張したが、裁判所も有罪推定に加担する。午後11時10分頃に現場を逃走したと想定し、「20分もあれば十分にガソリンスタンドに着くことができる」と認定したのである。
検察の隠蔽が露呈したのは、第1次再審請求審。開示された証拠のなかに、炎を目撃したAさんの事件翌日の警察官調書が含まれていたのだ。
Aさんは当初、「午後11時15分頃、大きな炎が上がっているのを見た」「居間の壁時計を確認した」と供述。さらに、「午後11時42分にも大きな炎を見た」「翌17日午後0時5分頃、最初に見た炎の3分の1くらいの炎を見た」と、3回にわたって炎を見たことを証言していた。
確定審で捜査機関が実施した豚の燃焼実験によれば、灯油10リットルを豚にかけて着火すると、30秒から1分の間に炎が最大になり、22分で自然鎮火状態となった。2回目の大きな炎は、弁護側が提出した伊藤昭彦教授(弘前大学大学院・燃焼学)の実験や意見書で説明できる。灯油10リットルを1回まいて焼いただけでは、被害者の遺体のように炭化したり、体重が9キロも減るとは考えられないと判明したのだ。つまり、犯人は焼損現場にとどまって燃料を補給したと考えれば、つじつまが合う。
ところが、札幌地裁は、「Aさんが炎を目撃した事実」は認め、「容疑者にはアリバイが成立する可能性が一応はある」とながらも、供述に信用性がないと採用せず、Nさんに不利な「可能性」を連ねて否定した。
札幌地裁のアリバイ否定
第2次再審請求では、「犯人は遺体の姿勢を変えて、2回以上燃料をかけて遺体を焼いた」とする新証拠が、炎の目撃証言と符合し、アリバイ成立が優位に展開すると予想された。
被害者の遺体は仰向けの姿勢で発見されたが、後頭部の焼損が激しかった。伊藤鑑定意見書および証言では、「最初はうつ伏せの状態で燃料をかけて燃焼させ、その後火勢が衰えてほぼ鎮火してから、仰向けにしてさらに燃料をかけて燃焼した」と推定する。
また、遺体近くに黒く煤けた燃焼痕跡が見られ、遺体は少なくとも2カ所において焼損されたと推察される。画像処理により、遺体を180度反転させてうつ伏せ状態にすると、黒く煤けた痕跡と一致するという。
この推定は、Aさんの目撃供述に見事に一致する。犯人が死体に燃料をかけて火をつけ、鎮火に近い状態になるまで待って死体を反転させる。再び燃料をかけて火を放つには、最初の着火から少なくとも25分はかかり、Aさんが2回目に大きな炎を見たのとほぼ同時刻になる。仮に、確定判決が認定した午後11時05分頃に死体に着火したとしても、炎が鎮火するのは午後11時27分頃になるため、Aさんのアリバイは完全に成立する。
姿勢を変え、2カ所で焼損したのであれば、Aさんによる単独犯行に疑問を投げかけることにもなる。Aさんは生まれつき指に障がいがあり、握力が著しく弱かった。被害者より体格も体力も劣る女性が、たったひとりで火のついた遺体をひっくり返すのは、極めて困難な作業といえるからだ。
しかし、札幌地裁は再び、「Aさんの供述は信用できない」とし、前回同様、アリバイを否定した。
燃焼工学を無視
弁護側は、これまで「灯油10リットルの燃焼で体重は9キロ減少しない」と主張してきた。それに対し、札幌地裁は、「皮下脂肪が独立燃焼する可能性」を貫いている。
この「独立燃焼」は、検察側証人の須川修身教授(諏訪東京理科大学)の「死体は2分程度で表皮が裂けて脂肪が溶け出し、長時間脂肪の独立燃焼が継続する」という説におおむね依拠したものである。須川教授は、自説を支持する論文が日本には存在しないことを認めており、実験で証明されているわけでもない。
伊藤教授は、「体重を9キロ減少させるには2時間燃焼しなければならず、灯油10リットルでは足りない」とし、エネルギー保存則を全く無視した論理で、認められないという見解だ。
実は、第2次再審請求審の終盤で、この「独立燃焼」論が瓦解する出来事が起きていた。
須川教授が援用していた外国の論文(The Analysis of Burned Human Remains)には、「人体の脂肪は少なくとも5~10分間外部からの加熱がなければ燃焼を開始できない。また、燃焼を継続させるにはさらに外部からの加熱が必要である」と、須川説に矛盾する内容が記載されていたのだ。
しかも、この記述があるページは、検察官の提出した須川意見書から欠落していた。最終事実取り調べの前日、「脂肪の独立燃焼による体重減」が科学的に不合理だと説明する弁護側証人・中村祐二教授(豊橋科学技術大学)の指摘で初めて発覚した。
検察官は、抜けていたページを弁護側および裁判所に提出し、中村教授はその箇所の翻訳を証人尋問で明らかにした。その結果、検察官は中村証人への反対尋問を事実上断念した形になったという。
こうした経緯がありながらも、札幌地裁は、「着衣が芯となるなどして相当時間脂肪が独立して燃焼を継続することが起こり得る」と繰り返したのである。
これだけではない。第2次再審請求において、裁判所は、燃焼科学的に解明すべき争点から、なんら科学的根拠を示さずに、あざとく逃げている。
伊藤教授が「うつ伏せ状態で焼かれた」と主張するのは、後頭部の損傷が激しく、髪は焼け、頭皮が炭化していたからだ。「燃焼には空気の存在が必要なため、仰向けの状態では後頭部が雪面ないし地面に接したままで、たとえ灯油がかけられても燃焼し得ない」との説明は、理科のレベルでもわかる科学的理論といえる。
ところが、裁判官は、「氷雪が溶けるなどして、後頭部にも熱が及ぶようになった」「死体は背中を若干反り返らせており、その間には空間があった」と説得力のない理由を並べ、黒く煤けた原因についても、「氷雪面上の灯油から炎が上がることも起き得る」など、科学的に到底生じえない事実まで「起き得る現象」と認めている。
薬物中毒死の可能性
第2次再審請求のもうひとつの新証拠は、「死因は頸部圧迫による窒息死ではなく、薬毒物中毒の可能性がある」との吉田謙一教授(東京医科大学・法医学)の意見書だった。
「頸部圧迫による窒息死」と診断するには、「血液の暗赤色流動性、臓器の鬱血、眼瞼結膜等の溢血点」の「窒息の3徴候」に加え、頸部圧迫の具体的な所見、さらに、窒息死以外の可能性を除外することが不可欠だという。
しかし、確定判決が肯定した司法解剖鑑定書には、頸部圧迫を示す所見がなく、窒息死以外の死因の可能性を除外するための検査を行った様子がみられない。
吉田教授は、性犯罪に関連した薬物中毒死が考えられると主張し、遺体に中毒死で多数みられる肺水腫が認められるにもかかわらず、薬物についても全く言及していない点を指摘した。
「性犯罪では、抵抗できない状況にするために、クロロホルムといった薬物をかがせて意識を失わせるケースが多く、薬物の量ややり方で急死することがある」という。
この事件は、遺体の足が開いた姿勢で、局部がとりわけひどく焼けていたため、当初から性犯罪の可能性が疑われていた。
この新証拠も採用されず、裁判所は、司法解剖鑑定書の杜撰さも、薬物中毒死も性犯罪も否定した。
裁判所は何を守るのか
再審制度は、「無辜の民」の救済を理念としているはずである。ところが、第2次再審請求審では、Nさんの利益はことごとく排除された。
Nさん本人の口頭意見陳述は実現しなかった。刑事訴訟法286条は<再審の請求について決定する場合には、請求した者及びその相手方の意見を聞かなければならない>と定めている。弁護団は、裁判所に本人の姿かたち、体格を見てもらうという意味もあるとして、本人の出廷を求めていたが、書面での提出となった。
また、被害者の体重と同じ重さのマネキン人形を持ちあげ、女性が単独で死体を運搬できるかどうかの実験検証を求めたが、これも却下された。
前回同様、捜査機関が作成収集した証拠書類や証拠物を一覧にした「証拠の一覧表」の開示もされなかった。
Nさんは、出所して一度記者会見を行ったが、その後はいっさい表に出ていない。弁護団によると、事件発生直後からマスコミに尾行され、誹謗中傷ともとれる報道がされたことに深く傷ついているという。幾度となく期待を裏切られ、裁判所に対する失望も大きいのは想像に難くない。
服務中に両親は介護が必要になった。第1次再審請求が棄却された14年4月、彼女の父親は、「悔しいですよね」という問いに無言でうなずき、こんなことを語っていた。
「親父はおふくろに『(子どもたちを)警察官だけにはしないでくれ』と言ったらしいんだ(笑)。遺言みたいにね。たぶん、疑わないとできない商売だからじゃないかな。親父は真珠湾攻撃のときも、『早くやめないと負ける』って言ってた。でも、口に出したら非国民だって。盾ついたらダメだっていうのが頭にしみこんでいるかな。はみだしたら偏屈だと言われるから。右に倣え、みたいにしないと。裁判官だって給料困るんじゃない、変わったことやったら」
裁判所は、人権を守る砦ではなかったのだろうか。男性視線に貫かれた捜査、裁判、報道は女性の貴重な人生を奪い、被害者の尊厳が冒された疑いも曖昧にしている。
『週刊金曜日』(2020.11.20号)掲載記事
